戦国武将 散り際の美学(第27回)

北条氏政と氏直~実りのない会議が名家を滅ぼす

2014.10.29 Wed連載バックナンバー

生没年

北条氏政:
生: 天文7年(1538年)
没: 天正18年7月11日(1590年8月10日) 享年53

北条氏直:
生: 永禄5年(1562年)
没: 天正19年11月4日(1591年12月19日) 享年30

 

「徹底交戦か和議か」で紛糾

 天正18(1590)年6月。20万を超える豊臣秀吉の大軍に囲まれて籠城を続ける小田原城内では、今後の方針をめぐる重臣会議が行われていた。

 「もはや秀吉に従うほかありますまい」。家康の娘を妻に持つ穏健派の現当主・北条氏直が、沈痛な面持ちで口を開く。そう言ってしまうのも無理はないことだった。このとき北条氏は籠城を続けてまだ3カ月であったが、兵力の差は火を見るよりも明らか。各地の支城も驚くほどの速さで次々と攻め落とされており、氏直にとって敗北は時間の問題と思われた。

 「何を弱気なことを申すか!」そう息子を一喝したのは父・氏政である。氏政はすでに隠居し、家督を氏直に譲っていたが、依然として強い発言力を有していた。先代の氏康とともに北条氏の最大版図を実現した氏政は、弟・氏照とともに最後まで戦い続けることを主張する。それは自城・小田原城への過剰な自信だろうか、それとも最大版図の時代を築いたことの意地だっただろうか。氏政には和議などとうてい考えられないことだった。

 徹底交戦か和議か。一族や重臣たちもそれぞれに意見を述べ、意見がまとまらないまま紛糾する。「小田原評定」ということわざの語源となった実りのない会議は、いたずらに時を空費するばかりだった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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