戦国武将 散り際の美学(第25回)

大友宗麟~キリシタン王国を夢見た九州の雄

2014.10.19 Sun連載バックナンバー

生没年

生:享禄3年(1530年)
没:天正15年5月6日(1587年6月11日) 享年58

 

南蛮貿易で軍も町も豊かに

 キリシタン大名として知られる大友宗麟。彼は大友氏当主となった翌年の天文20(1551)年、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルを豊後府内(大分県大分市)に招いて歓待した。その後も宗麟はキリスト教布教を手厚く支援しただけでなく、宣教師たちを通じて大砲や火薬を入手し、南蛮貿易を拡大していく。

 宗麟が行った南蛮貿易は、日本ではじめて大砲を輸入したことで知られている。また、この貿易では軍事品に限らず陶磁器や硝石なども輸入し、さらに同時に医学や芸術などの文化がもたらされたことで、府内の城下町は衣食住全般にわたり異国情緒が漂っていたという。

 南蛮貿易による経済力と、立花道雪、高橋紹運(じょううん)を中心とする優秀な家臣団に支えられ、順調に版図を拡大していく大友家。最盛期には九州6カ国にまで領国を広げたが、その栄華に暗雲がこもったのは天正6(1578)年のことだった。

 この年大友軍は、薩摩(鹿児島県)の島津氏の攻撃を受けた日向(宮崎県)の大名・伊東義祐(よしすけ)の要請を受け、大軍をひきいて出兵。宣教師をともない、軍船には十字架の軍旗を掲げたその陣容は、ヨーロッパの十字軍さながらだったという。出兵直前、宣教師のフランシスコ・カブラルから正式にカトリックの洗礼を受け「ドン・フランシスコ」と名乗った宗麟は、日向の無鹿(むしか、宮崎県延岡市)に本営を置き、理想のキリシタン王国建設に着手しはじめる。宗麟の徹底したキリスト教信仰は、金曜日と土曜日に断食を行っただけでなく、神社仏閣を燃やすといった破壊行為にまで及んでいる。

 

耳川の戦いでの致命的敗北

 しかし、このときすでに大友家ではキリスト教に傾倒する宗麟と家臣の間に不和が生じていた。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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