戦国武将 散り際の美学(第9回)

荒木村重~家族より自分の命を選んだ男の後半生

2014.06.15 Sun連載バックナンバー

生没年

生:天文4年(1535年)
没:天正14年5月4日(1586年6月20日) 享年52

 

下克上を体現し、のし上がる

 荒木村重は天文4(1535)年、摂津池田城主の家臣である荒木家の嫡男として誕生する。初めは池田勝正に仕えており、その息子・長正の娘を娶り一族衆となるが、三好家に寝返って勝正を追放し、池田家を掌握。その後、織田信長にその気風を気に入られ三好家から織田家に移り、天正元(1573)年には茨木城(大阪府茨木市)を与えられる。そして翌年11月5日には、摂津国の有岡城(兵庫県伊丹市)を落とし、ついには摂津一国を任された。まさに下克上の時代を体現するかのような人物であった。

 信長配下として石山本願寺攻めや毛利氏との対決など各地を転戦し活躍した村重だが、「本願寺に米を横流ししている」という風説に運命をねじ曲げられることとなった。「信長の気性では釈明に行っても逆に殺されるだけ」と考え、村重は進退窮まり信長への叛逆を決意。足利義昭、本願寺、毛利氏と内通した。

 信長と対立した村重に対し、羽柴秀吉はその旧知であった黒田官兵衛を使者として立て村重の本拠である有岡城に派遣したが、村重は官兵衛を拘束し、監禁してしまう。その後、1年ものあいだ抗戦し続けたが、側近である中川清秀と高山右近が信長方に寝返り戦況は一変、圧倒的不利な状況に立たされた。

 後に「利休七哲」の1人にも数えられる村重は大変な数寄者であり、本拠の有岡城が織田軍の攻撃に耐えられなくなると、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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