戦国武将 散り際の美学(第23回)

森蘭丸~信長に愛された森一族の顛末

2014.10.05 Sun連載バックナンバー

生没年

生:永禄8年(1565年)
没:天正10年6月2日(1582年6月21日) 享年18

 

信長寵愛の小姓衆リーダー

 「明智が者と見え申し候」。

 天正10(1582)年、本能寺の変。森蘭丸は周囲の異変を素早く察知し、明智光秀の謀反を信長に伝えた。蘭丸は常に主君の側近くに控えていた。このとき本能寺には18人の小姓衆がいたが、その中でも信長から一番信頼され寵愛を受けていた。

 記録に「色白くして長高し」とあるように、かなり上背がある。父や兄の戦歴から見て、美形でありながら相当勇猛な侍でもあった。果敢に奮闘したに違いない。

 父の森可成は槍の名手としてしられ、「攻めの三佐」の異名をとった。数々の戦いで功績を挙げ、元亀元(1570)年、摂津(大阪府北部)で本願寺との戦いを行っていた織田軍の背後を衝こうと浅井・朝倉連合軍が進軍してきた際に、壮絶な戦いの末に討ち死にした。

 この可成の命をかけた奮闘によって時間を稼げたことが、本願寺と浅井・朝倉連合軍とによる織田軍の挟撃という最悪の事態を防ぎ、信長は九死に一生を得ることができた。

 なお、このときの浅井・朝倉連合軍には、本願寺の要請を受けた延暦寺の僧兵も加わっており、後の延暦寺焼き討ちのきっかけのひとつとなったとされる。また、延暦寺焼き討ちの際、その山麓にある門前町・坂本(滋賀県大津市)も焼き討ちにあったが、聖衆来迎寺だけは森家の墓所があったために信長によって保護され、焼き討ちを免れている。

 この可成の子であり、蘭丸にとっては兄に当たる長可もまた、信長の覇道を支えた歴戦の将であった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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