戦国武将 散り際の美学(第22回)

武田勝頼~偉大な父を持つが故の二代目の悲劇

2014.09.21 Sun連載バックナンバー

生没年

生:天文15年(1546年)
没:天正10年3月11日(1582年4月3日) 享年37

 

武田信玄を父に持った悲運

 戦国最強と謳われた武田軍。しかし今、武田家当主の勝頼の眼前に広がる光景は、見るも無残なものであった。場所は天目山(山梨県甲州市)。周りには自軍の兵士やわが子と妻の屍が倒れていた。

 天正3(1575)年、長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍に大敗してから、武田家の衰退は著しかった。

 相次ぐ忠臣の死、そして裏切り――。家臣たちは当主・勝頼に不信の念を抱き、もはや信玄時代の結束力はなかった。

 勝頼の父は言わずもがなだが、“甲斐の虎”・武田信玄である。“軍神”と呼ばれた上杉謙信と互角に戦いぬいた、カリスマ性にあふれる自慢の父だった。しかし、この父が偉大すぎたのだ。

 だからといって、勝頼が無能だったわけではない。信玄がどうしても奪えなかった高天神城を攻め取るなどの功績を残し、武田家の最大版図を実現した。

 しかしその一方で、長篠の戦いの敗戦から立て直すため、無理をしすぎていた。度重なる増税は、家臣や領民たちの勝頼への不信感を増大させた。

 ちょうどその頃、長篠の戦いでの勝利したものの、その後は近畿での石山本願寺での戦いに忙殺されていた信長が本願寺と和睦し、いよいよ、武田攻めに向けて準備を始めていた。

 彼にとっての悲運は、戦国の覇者、信長と対峙したことだろう。偉大な父と巨大な敵を持ったことが、彼の不幸であった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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