戦国武将 散り際の美学(第21回)

竹中半兵衛~死後も秀吉を支えた天才軍師

2014.09.15 Mon連載バックナンバー

生没年

生:天文13年9月11日(1544年9月27日)
没:天正7年6月13日(1579年7月6日) 享年36

 

エピソードに彩られた前半生

 豊臣秀吉に仕え、その天下統一を支えた軍師・竹中半兵衛(重治)。同じく秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛とともに「二兵衛」とも呼ばれて世に知られている。

 竹中家は美濃(岐阜県南部)の斎藤家に仕えており、半兵衛も永禄3(1560)年、父・重元より家督を継ぐと斎藤義龍に仕えた。

 義龍は父・道三を攻めてこれを討ち取り、斎藤家の当主となった人物で、当時は美濃攻略を目指す織田信長と一進一退の攻防戦を繰り返していた。

 ところが、その翌年に義龍が急死。半兵衛は跡を継いだ龍興に仕える。この龍興は、それまでの道三、義龍に比べると凡庸な将だったと言われ、斎藤家は次第に劣勢になってゆく。

 一説によると、このとき半兵衛は伏兵をつかって織田軍を見事撃退する活躍を見せたという。

 半兵衛ら有能な家臣の奮闘によって斎藤家はなんとか織田軍の猛攻を凌いでいたが、肝心の龍興は政務への関心が薄く、淫蕩に耽る毎日を送っていた。半兵衛はこれを諌めるために舅(しゅうと)であり、西美濃3人衆にひとりにもかぞえられる安藤守就(もりなり)らとともに、わずか16名の手勢を率いて龍興の居城である稲葉山城(岐阜県岐阜市)を占拠してしまう。半兵衛の生涯の中でも、もっとも有名なエピソードである。

 このとき、この事件を知った信長が城を譲るように半兵衛に持ちかけるも、半兵衛は… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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