戦国武将 散り際の美学(第2回)

今川義元~桶狭間に散った「海道一の弓取り」

2014.04.04 Fri連載バックナンバー

生没年
生:永正16年(1519年)
没:永禄3年5月19日(1560年6月12日) 享年 42

 

不意討ちで無念の最期を遂げる

 季節は梅雨、沓掛城(愛知県豊明市)から尾張国(愛知県)攻略に出陣した今川義元は、塗り輿に揺られながら、大高城(愛知県名古屋市)に向かった。太って騎乗できないのではない。大大名としての威光を示すために輿を用いたのだ。

 大高城と鳴海城(愛知県名古屋市)は今川軍の最前線にあり、織田軍の攻撃にさらされていた。そこで義元は、2万5,000人の大半の兵力を両城に投入し、明け方には織田方の2つの砦を陥落させていた。

「あの若造、清洲城(愛知県清須市)に籠城する構えであろう……」

 この状況判断は、この時点では決して間違ってはいない。各地の戦況は、今川方が圧倒的に優勢だったからだ。

 このとき、永禄3(1560)年5月19日の昼過ぎ、今川本隊は沓掛と大高の中間にある桶狭間山に着陣し、しばし雨中で休息を取った。このとき、陣中で酒が振る舞われたというのは作り話だが、義元は余裕の態勢で尾張攻めに臨んでいる。自信に満ちた笑みを浮かべながら采配をふるっていた。

 突然風雨が強くなる。そこへあの若造、信長の部隊が怒涛の勢いで義元の陣に襲いかかってきた。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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