戦国武将 散り際の美学(第20回)

築山御前と松平信康~家康に見捨てられた悲劇の母子

2014.09.07 Sun連載バックナンバー

生没年

築山御前:
生:天文11年(1542年)※諸説あり
没:天正7年8月29日(1579年9月19日) 享年38?

松平信康:
生:永禄2年3月6日(1559年4月13日)
没:天正7年9月15日(1579年10月5日) 享年21

 

夫の裏切りに失望した名家の妻

 徳川家康の最初の妻・築山御前は格差結婚だった。

 今川義元の姪で名門家の血をひく妻と、かたや当時は今川家の人質の身分だった田舎大名。互いの安全保障のために組まれた典型的な政略結婚で、夫婦仲は良くなかったといわれる。それでも子には恵まれ、誕生したのが悲劇の子、松平信康である。

 信康誕生の翌年、永禄3(1560)年に事件は起こる。桶狭間の合戦で、築山御前の伯父・今川義元が織田信長に討たれたのだ。

 これを機に家康は自国の岡崎城(愛知県岡崎市)に戻り、信長と清洲同盟を結んだ。そして信康に、信長の娘・徳姫を娶らせた。

 ようやく独立を果たしたばかりの家康にとって、義元の死で混乱する東の今川家が信頼できない状況では、かわりに西の織田と手を組むことは当然の戦略であった。

 しかし、戦国を生きぬくための常套手段とはいえ、誇り高い築山御前からしてみれば、裏切りも同然であった。そのうえ、今川家に仕えて義元亡き後の家中を立て直そうと奔走していた築山御前の実父は、家康との内通を義元の跡を継いだ新当主・氏真に疑われ、切腹を余儀なくされてしまったのだ。

 こうしたさまざまな不幸が、築山御前と家康との夫婦仲を引き裂いてゆく。

「わが伯父を討ち取った憎き信長と同盟を結ぶばかりか、わが子信康に信長の娘を迎えるなんて……」

 夫を愛せない分、その愛情はわが子に注がれる。しかし息子の妻が仇敵の娘ということが許せなかった。自然と徳姫との折り合いは悪くなる。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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