戦国武将 散り際の美学(第18回)

浅井長政~覇王の妹を嫁にしたがゆえの苦渋

2014.08.23 Sat連載バックナンバー

生没年

生:天文14年(1545年)
没:天正元年9月1日(1573年9月26日) 享年29

 

義兄か旧縁か、運命の選択

 「義兄上、なぜこのようなことを……」

 近江浅井家の若き当主、浅井長政は選択を迫られていた。

 天下統一に向けて破竹の勢いでまい進する織田信長は、元亀元(1570)年、越前の朝倉攻めを開始した。長政にとって信長は、妻のお市の兄、つまり義兄にあたる。そして長政とお市の政略結婚の際に、「朝倉への不戦の誓い」を立てていたのだった。

 尊敬する義兄・信長と、祖父の代からよしみのある朝倉家、どちらにつくべきか、長政は板挟み状態に陥っていた。そして悩んだ末、やむなく恩人への義理を選択したのである。

 この決断には、すでに隠居したとは言え、なお家中に強い発言力をもっていた父親・久政の意見が反映されているとされる。彼は反織田派の家臣と共に、長政に信長との対決を迫ったのだ。

 また、周囲を朝倉や六角などの名家に囲まれ、その対応に追われる新興勢力である浅井氏の当主としては、例え四面楚歌になっても己の道をつきすすむ信長に、長政自身がついていけないものを感じてもいた。

 「私は、やはり義兄上を信じ切れぬ……」

 朝倉に味方し、信長との対決を決断した長政にとって、妻・お市の処遇は心の痛む問題だった。

 信長と長政が敵対すれば、当然、織田家出身のお市を離縁するか、処罰してしまうこともありえた。現に長政の最初の妻は六角氏の縁者だったため、浅井と六角が争った際にこれを離縁している。

 しかし嫁いできたその日から、美しいお市の虜になってしまった長政は、お市を手放すことなどできなかった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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