戦国武将 散り際の美学(第17回)

毛利元就~西国の覇者が遺した教えは“結束”

2014.08.17 Sun連載バックナンバー

生没年

生:明応6年(1497年)
没:元亀2年6月14日(1571年7月6日) 享年75

 

家督争いで異母弟を殺害

 安芸吉田(広島県安芸高田市)の小領主から中国地方十数か国の大大名にのし上がった西国の雄・毛利元就。しかしその青年時代は不遇なものだった。

 幼い頃に父母と死別した元就は、家臣に領地と城を奪われ辛酸を舐めた。周囲から嘲られるほどの貧しい青年時代を、養母の実家の援助でなんとか乗り越えた。

 永正13(1516)年には、兄・興元が急死。その息子である幸松丸が跡を継ぐと、まだ幼い甥の後見人となり、主君が交代したばかりの毛利家の隙を狙う周囲の豪族を撃退することに成功する。この戦いが元就の初陣だったと言われる。

 これによって元就の名は高まり、大永3(1523)年、幸松丸がわずか9歳で亡くなると、家臣の推挙によって毛利家当主となる。

 しかし、毛利氏の領土を狙う尼子経久にそそのかされた家臣の一部が、元就の異母弟・元綱を擁立して反旗を翻した。元就は弟を討ち滅ぼすと共に元綱派の家臣を粛清、ようやく毛利家内部を掌握した。

 その一方で、この事件をきっかけにして尼子氏との対立が表面化してしまう。出雲(島根県東部)の尼子氏と周防(山口県東南部)の大内氏という二大勢力に挟まれた元就は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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