戦国武将 散り際の美学(第16回)

足利義輝~免許皆伝された“剣豪将軍”の壮絶な最後

2014.08.10 Sun連載バックナンバー

生没年

生:天文5年3月10日(1536年3月31日)
没:永禄8年5月19日(1565年6月17日) 享年30

 

戦乱の中、剣聖から学ぶ

 天文15(1546)年、わずか11歳で室町幕府13代将軍の座に就いた足利義輝。彼が即位したとき、室町幕府はすでに風前の灯火だった。

 父・義晴は,本来は家臣であるはずの細川晴元と争い、たびたび京を追われては近江坂本へと逃れた。そうした戦乱の最中に、義輝は坂本で父より将軍職を譲られた。

 その後、一度は晴元と和睦して京へと戻った義輝だったが、今度はその晴元が家臣であった三好長慶(ながよし)に攻められ、義輝は晴元と共に再び坂本へと逃れた。その後も三好軍によって逃亡生活を余儀なくされるが、天文21(1552)年、長慶と和睦することで、ようやく京に落ち着くことができた。

 しかし実権は三好長慶に牛耳られ、名ばかりの将軍であった。若い義輝はこれに我慢ができず、その翌年には再び晴元と組んで長慶と対立、敗れて近江の朽木谷(滋賀県高島市)へと逃れることになる。

 こうした状況下で、義輝は武芸の道を志す。彼が師事したのは剣聖と称された塚原卜伝(ぼくでん)。鹿島新当流の祖で、生涯無傷という伝説を残す人物だ。義輝は彼の下で修行を積み、ついに新当流の秘太刀「一の太刀」を伝授された。

 やがて長慶と和睦して京に帰還を果たすが、長慶の右腕であった松永久秀が台頭し、長慶に代わり幕府権力を脅かし始めた。

 久秀は義輝のいとこ・義栄(よしひで)を傀儡(かいらい)将軍に立てようと画策し、義輝暗殺を目論む。一方の義輝も、政務などを行う二条御所の補強工事を進め、外敵の侵入に備えた。

 

幕府の復興を目指す外交政策

 京で孤軍奮闘する義輝は、各地で力を持ち始めていた戦国大名と結ぶことで、この状況を打破しようとする。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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