戦国武将 散り際の美学(第14回)

斎藤道三~ミスター下剋上、わが子に敗れる

2014.07.27 Sun連載バックナンバー

生没年

生:明応3年(1494年)※諸説あり
没:弘治2年4月20日(1556年5月28日) 享年63?

 

息子に刃を向けられた道三

 弘治2(1556)年、斎藤道三は、人生最後の合戦に臨む。敵方の大将は、息子の斎藤義龍である。

 そもそもの火種は家督相続にあった。

 すでに隠居し、息子・義龍に家督を譲った道三だったが、次第に凡庸な武将の義龍に、わが美濃国(岐阜県)を一任させていることが気にいらなくなっていく。もしかすると、己の才知で戦国の世を生きぬいてきた梟雄(きょうゆう)には、隠居後の生活は退屈すぎたのかもしれない。

 さらに、「義龍は土岐頼芸(よりなり)のご落胤なのでは」という噂がささやかれており、それが両者の不和に拍車をかけた。

 土岐頼芸は道三が追放した前美濃当主であり、道三は彼を追放した際にその妻を側室として迎えたが、その時すでに頼芸の子を懐妊しており、その子が義龍であるというのだ。

 道三はこの嫡男を愛せず、腹違いの次男、三男を溺愛した。「義龍を廃し優秀な次男か三男を美濃国主に」、それが道三の思惑だった。

 

主君の領地を乗っ取る蝮(まむし)

 斎藤道三といえば、言わずと知れた下剋上の代表的な人物である。

 一介の油売りから一国一城の主へと上りつめたその生涯は、これまでも様々な小説やドラマで描かれてきた。

 しかし、近年の研究によると… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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