戦国武将 散り際の美学(第13回)

北条早雲~戦国の梟雄、その穏やかな死

2014.07.20 Sun連載バックナンバー

生没年

生:康正2年(1456年) ※諸説あり
没:永正16年8月15日 (1519年9月8日) 享年64?

 

謎多き乱世の申し子の大往生

 これまで、北条早雲は享年88まで生きたといわれていた。ところが、近年の説ではそれより24歳も若い享年64だとされている。戦国前期を代表する梟雄(きょうゆう)は、出生年でさえ不詳なのである。

 その早雲が没したのは、まだ武田信玄も生まれていない永正16(1519)年のこと。7月2日、三浦三崎(神奈川県三浦市)で舟遊びをしている最中に倒れ伊豆・韮山城(静岡県伊豆の国市)に運ばれると、回復することなく8月15日に死んだ。辞世はなく、無言の最期だったという。

 数々の死闘の末に一国一城の主にのしあがった乱世の申し子の最後としては、意外なほどにあっさりとした死に見える。しかし、死の3年前には長年抗争を続けてきた相模三浦氏の居城・三崎城を約3年間にわたって包囲し、これを降して相模統一を成し遂げている。

 その上で家督を嫡男・氏綱に譲り、孫(3代氏康)も生まれた。次世代のために打つ手はすべて打ってある。

 決して焦ることなく時がくるのを待ち、生涯をかけて勢力を拡大していった彼らしい用意周到さで迎えた大往生であったといえる。

 

下剋上を体現した大出世

 これまで早雲の前半生は謎に包まれていた。史料の少なさに加え、「1代で北条氏の基礎を築いた関東の英雄」として、数々の言い伝えや伝説が一人歩きしていた。

 出自についても、以前は伊勢の元素浪人というのが通説であった。ところが近年、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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