戦国武将 散り際の美学(第12回)

徳川家康~神となり天下を睨みつける戦国の最終覇者

2014.07.12 Sat連載バックナンバー

生没年

生:天文11年12月26日(1543年1月31日)
没:元和2年4月17日(1616年5月22日) 享年75

 

唯一の懸念であった豊臣家を葬る

 元和2(1616)年初春、徳川家康は駿府(静岡市)から4里ほど離れた現・静岡県藤枝市の原野で、鷹狩りに興じていた。75歳を迎え足腰も弱くなっていたが、若年より楽しんだ鷹狩りだけは止められない。青空を舞う鷹を眺めながら、家康はしみじみと呟いた。

 「これでようやく、天下泰平がなったか」──

 振り返れば、家康の人生は苦難の連続であった。生き別れた母の顏は知らず、わずか6歳で人質となり、金で織田家に買われた。三方ヶ原の戦い伊賀越えでは命を危険にさらしている。信長・秀吉に頭を下げ忠誠を尽くす一方、権謀術数の中に身を置いてもきた。そうして、ようやくつかんだ天下である。

 徳川幕府を開府したのちも、彼の苦労は絶えなかった。獅子身中の虫ともいうべき豊臣秀頼が大坂城に残っていたからだ。

 彼は10年に渡る月日を待ち、策謀をめぐらし、時が来たと見るや一気呵成に豊臣家を攻めた。そして遂に豊臣家を滅亡させたのである。駿府の地で鷹狩りに興じる、1年前のことだ。最大の障壁を取り払い、ようやく安堵の日々を得た老将は、深い満足感に浸っていた。

 

鯛のてんぷらが発病の原因に

 元和2年1月21日、鷹狩りに同行していた豪商の茶屋四郎次郎が、当時流行していた、ごま油で揚げたてんぷらの話をした。家康はさっそく休泊所で鯛のてんぷらをつくらせ、舌づつみを打ったのである。

 ところがその夜中、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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