戦国武将 散り際の美学(第11回)

豊臣秀頼と淀殿~戦わずして終焉を迎えた哀れな母子

2014.07.06 Sun連載バックナンバー

生没年

豊臣秀頼
生: 文禄2年8月3日(1593年8月29日)
没: 慶長20年5月8日(1615年6月4日) 享年23

淀殿
生: 永禄12年(1569年)
没: 慶長20年5月8日 (1615年6月4日) 享年47

 

神仏頼りの淀殿 出陣せずに自刃した秀頼

 豊臣秀頼は甲冑に身を包んで姿を現わした。6尺を超える巨漢で、若いながらその武者振りは堂々たるものだ。慶長20(1615)年5月6日、俗にいう大坂夏の陣。今まさに秀頼は、主戦場に出馬せんというところだ。戦場では憎き爺が出張っている。

 「家康め、その首取ってくれようぞ」。武将の血がたぎってくる。それを側近が制止した。「総大将が前線にお出になってはなりません。何より淀のお方様が……」

 秀頼の母、淀殿は仏間に籠って祈り続けている。彼女は父・浅井長政の小谷城と義父・柴田勝家の北ノ庄城の、二度の落城を経験し、両親も義父もその戦いの中で亡くしている。そのトラウマから、戦に対して深い恐怖と嫌悪を抱くようになり、信仰に没入していた。わが子には絶対に修羅の道を歩んで欲しくないと願っている。

 しかし秀頼は自分の中に武将の血を感じていた。何かが目覚めていた。一方で母の悲しみもわかる。もうこれ以上苦しませたくない。葛藤の末、彼は天守閣に退いた。残された道は潔い死あるのみ──。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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