食は江戸にあり!江戸と食にまつわるお話(第2回)

江戸の食文化を支えた、江戸前の海の幸と伝統野菜

2015.09.13 Sun連載バックナンバー

 ユネスコの無形文化財に登録されたことで世界中から注目を集めている和食の世界。弥生時代から続く日本の食文化は室町・戦国時代にほぼ完成したとされています。そして江戸時代になっていま私達が口にしている食べ物の形に発展しました。

 そんな江戸に根差した食文化の中から、海の幸と野菜についてお話ししましょう。

 

江戸市民の食欲を満たすために飲食店が増え続ける

 18世紀には人口100万人を突破していた大都市・江戸には、日本橋をはじめとした繁華街がありました。そこには食材を売る店、調理済みの食品を売る店、さらにはそば屋、すし屋、居酒屋、一膳めし屋など庶民が気軽に飲食できる店から、上級武士や豪商が利用する高級料理屋まで、さまざまな形態の飲食店が並んでいました。

 嘉永3(1850)年に出版された『皇都午睡』(江戸時代の作家・西沢一鳳著)には、少々大げさな記述ではありますが、江戸の店舗の約半数が食べ物に関係するお店であると述べています。

 江戸の人々にとって、食べることは生きていく上での喜びでした。ですから彼らの食欲は衰えることがなく、江戸の町には食べ物屋がどんどん増えて行きました。文化年間(1809~1816)には、江戸市中に6,000軒を超える飲食店があったとされます。そしてこうしたお店の食材を担っていたのが、江戸で獲れる海の幸と野菜であったのです。

 

多種多様な魚介類を育んだ江戸湾

 よく耳にする「江戸前」という言葉。文字通り“江戸の前方”という意味で、もともとは浅草や深川近辺で獲れる鰻を指した言葉でしたが、後に“江戸の目の前”にある海、江戸湾(現在の東京湾)で獲れる新鮮な魚介類を称しました。

 隅田川、江戸川、荒川など大小の河川が流れ込む江戸湾は、干潟も多く、水質も肥沃で、多種多様な魚介類の揚がる絶好の漁場でした。江戸湾は観音崎(神奈川県横須賀市)と富津岬(千葉県富津市)を結ぶ線で内湾と外湾に分かれ、この海を舞台に武蔵(現在の東京都・埼玉県)、相模(現在の神奈川県)、下総、上総、安房(いずれも現在の千葉県)の五か国の漁民が漁業を行っていました。彼らにより江戸の漁業が支えられていたのです。

 文成7(1824)年に出版された『武江産物志』という本があります。これは、江戸を中心とした武蔵国南部地域の動植物の目録で、19世紀前半の日本の博物学上の重要資料です。それによると江戸湾に生息する魚介類として以下の魚介類があげられています。… 続きを読む

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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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