温故知新 時代を作ったビジネス書から学ぶ(第8回)

ゼロから金融財閥を生み出した、安田善次郎の貯蓄力

2015.04.03 Fri連載バックナンバー

 戦前の日本における“四大財閥”といえば、三井財閥、三菱財閥、住友財閥、安田財閥の4つ。この中で特に金融部門で強みを持つのが安田財閥です。みずほ銀行や明治安田生命保険なども、安田財閥の流れをくんでいます。

 安田財閥の祖である安田善次郎は、自身の著作にて、資産形成は「多く収入するよりも少なく費やす方が幸福」であると指摘しています(安田善次郎『富の活動』大和出版,1992年[原著1911年]) p.145)。今回は、安田善次郎のビジネスの根底にある“貯蓄力”について分析します。

 

収入の20%分の貯蓄が成功を生む

 安田善次郎は江戸時代後期の1838年、越中富山に生まれました。1857年に単身19歳で江戸に出て、6年間の奉公の後に独立。誠実な仕事ぶりで信頼を集め、一代で安田銀行(富士銀行を経て現・みずほグループ)を中心に多数の企業を設立しました。東京大学の安田講堂日比谷公会堂は彼の寄付によるもので、横須賀市の安浦、鶴見線の安善駅などに名前を残しています。オノ・ヨーコさんは善次郎のひ孫に当たります。

 当時の国家予算の1/10ともなる莫大な資産を形成した安田善次郎は、豊臣秀吉の伝記である太閤記からビジネスの方法を学んでいます。10代の頃に、物語本の写本のアルバイトで出会い、感想について「秀吉は決して一足飛びの出世を求めなかった(『富の活動』p.80)」、「(秀吉が農村の子から関白という)地位を得るまでの順序は、決して一攫千金のものではなく、秩序もあれば階段もある、すべて順序をおうてきたという点が、痛く私に感動を与え」(p.39)たと述べています。

 安田は、一足飛びの一攫千金を投機的に求めるのでは無く、順序正しい事業による利益を求めました。安田が巨富を得た方法は、投機的なキャピタル・ゲイン(資産価値向上)ではなく、事業のプロフィット(利益)だったのです。

 安田に影響を与えたもう一人の偉人は、本連載の第1回で紹介した二宮尊徳です。安田は、「各自の収入に応じて分度を定めた生活(『富の活動』p.145)」を勧めるなど、二宮尊徳の哲学である「分度」という用語をそのまま使用しています。分度は、現代的にいうと「予算」です。予想される収入から予算を見積もり、その予算内で生活し、または事業を営むという方法論です。守るべき予算の上限を分度といいます。

「収入の八分(80%)で生計を立てて、二分(20%)は必ず非常事変の準備として貯蓄したのである。収入の八分以上は一分でも使わずにことごとく貯蓄した。(略)この堅く守るという、自分の立てた主義は、他人が何と評そうが、いかなる誘惑がおころうが、一歩も曲げたことはない。これが即ち私の今日あるを至した原因であると信じている(『富の活動』p.84)」

 明治時代の人々は、安田善次郎がどうやって収入を増やしたかに興味を持ちました。しかし、安田は、巨万の富を築いた方法を問われて、稼ぎ方を説明したのではなく、費やさない大切さを説明したのです。彼が事業へ積極的に投融資できたのは、この収入20%分の準備(貯蓄)による安心感があったためです。“将来も蓄積していける”という事実と確信があったからこそ、ビジネスにおいて信念による挑戦ができたのです。

 

人物本位の事業評価

 安田はこの蓄えを使い、鉄道、電力、港湾整備・埋立など公共的で大規模な事業に投融資をしてきました。具体的な例を見てみましょう。… 続きを読む

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鈴木 健治

鈴木 健治

特許事務所ケイバリュエーション 所長 弁理士

経済産業省産構審小委員会の臨時委員、(財)知財研 知的財産の適切な活用のあり方に関する委員会委員などを歴任。著書に「知的財産権と信託」『信託法コンメンタール』(ぎょうせい)、論文に「知材重視経営を支えるツール群に関する一考察(月刊パテント)」などがある。取引先の経営者・担当者にビジネス書の書評をお届けしている。公式サイト:http://kval.jp/

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