新たな局面に向かう日本文化(第1回)

職人文化復活の鍵は、江戸時代の心意気にあり

2015.02.05 Thu連載バックナンバー

 日本のモノづくりの技術力と緻密さ、正確さには目を見張るものがあります。自動車やロボット、ロケットなどの工業製品から、繊維業の染めと織り・縫製、包丁や鍋などの鍛冶技術、あるいは本物と間違えるような食品サンプルやアニメのフィギュアまで、ありとあらゆる分野で、いわゆる職人技といわれる技術を発展させてきた日本。その土台となっているのが、江戸時代に各分野で活躍した職人達の心意気です。

 1970年代、考古学者として、また民俗学や文化人類学などにわたる幅広い研究活動を行い、柳田邦男に並ぶ学会の権威だった樋口清之氏は、著書「梅干しと日本刀」の中で、職人気質とは「『作ればいい』ではなく『出来栄え』自体を目的にしていること」「名前を残すというような小さな誇りを問題にせず、自分がいいものをつくった、美しいものをつくることができたという喜びを誇りとして、無名のまま生涯を終える」人々の気質だと書きました。

 また「そういう意識が、たとえ流れ作業を行う工員ひとりひとりの中になければ、けっしてすぐれたものはできない」とし、さらに「それこそが技術を高めていく根本」と記しました。つまり江戸時代に培われた職人気質が近代の工業化による大量生産品にも生き続けていることを指摘していたのです。

 江戸時代初期には、神田や日本橋、浅草界隈の「下町」には、大工町、石切町、塗師町、鍛冶町などの職人町が、専門分野別に成立していました。彼らは武家や町人たちからの多様にして個別な要望に応えるべく、腕一本で創意工夫を凝らしていました。要求が高ければ高いほど奮い立ち、発注者の期待をはるか超えるものを作り上げても、当人は「宵越しの金を持たない」その日暮らしを楽しんでいたのです。犬か猫かで例えれば、あきらかに猫的な自由を満喫してきたのが江戸の職人達です。

 1877年(明治10年)に来日し、横浜から新橋への車窓から、大森貝塚を発見したことで知られる動物学者のエドワード・S・モース氏は、その後何度も日本に訪れたことがある親日家です。

 彼は著書「日本人のすまい 内と外」の中で、一見無造作に見える日本の家屋が、実は細部にさまざまな工夫と装飾をこらしていること、そしてそれらの美しい細部が地方の名もなき職人の手によるものであることに感嘆したことを伝えながら、母国アメリカの地方の大工が、一般庶民の家作りの注文を受けた場合、どんな仕事をするか想像して、怒りにとらわれたと書いています。江戸の職人以上に、地方の職人もいい腕を持っていたことが推し量られます。

 そんな職人気質を上手に活かし飛躍を続けてきたのが、日本の産業です。… 続きを読む

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竹澤 まり

竹澤 まり

中谷マリの名でFrau(講談社)創刊時からおもに読み物記事を執筆。多くの女性誌・一般誌での記事を多数執筆。25年ほど前に心理占星術研究家・鏡リュウジ氏と組んで新しい占いの文章を開拓。占い専門誌などへの連載を経て2007年「火星占い」(講談社)を上梓。2011年ペンネームを本名竹澤まりに変え、web上でのインタビュー記事と特集記事を展開しながら、繋がった人たちと商品開発して販売するonlineマガジン ヱニシ(http:/www.yenishi.com) を立ち上げ、現在に至る。

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