明治を駆け抜けた偉人達(第6回)

西洋人を感動させた、乃木希典の「大和魂」

2015.03.07 Sat連載バックナンバー

 大和魂や武士道といったような、日本人には独特なものの考え方やとらえ方があると言われています。明治以降の急速な西欧化によってそれは薄れてしまったと言う人もいますが、大和魂や武士道とはどういった心なのでしょうか。大和魂を貫いた乃木希典の足跡と共に、考えてみましょう。

 

西洋人を感動させた、日本の精神「ブシドー」

 乃木希典は明治時代の軍人です。日露戦争にて、世界のあらゆる軍事家が「この要塞を落とすことは不可能だ」と評価していた旅順(中国)の要塞を攻略し、その後、ロシア司令官ステッセルとの会見で、武士道を以て接したことによって、全世界にその名をとどろかせました。

 普通、敗軍の将はサーベルを差して会見に臨むことができないのですが、乃木はステッセルの武勇を褒め称えて尊重し、サーベルを帯びて会見することを許します。このことで、「乃木こそは、日本の『ブシドー』を体現した人物だ」と高い評価を得ました。

 当時の日本を含めたアジア諸国は西洋の国々より文明的に劣っていたことから、見下されていました。しかし、そんな中で日本が西洋と対等に付き合うことができるようになったのは、乃木をはじめとした明治の素晴らしい日本人の精神が西洋の人々を感動させたからです。

 その乃木希典について、1つの美談を紹介しましょう。日露戦争以降の乃木希典の逸話はさまざまなものが伝わっていますが、ここでは日清戦争以前の逸話を紹介します。

 

からかわれても、すぐには応じず堪える

 1887年、当時陸軍少将の役に就いていた乃木は、同じく少将であった川上操六と共にドイツへ派遣されました。

 当時ヨーロッパまでの旅といえば長い船旅ですから、日が経つにつれて同乗していたドイツ軍人とも顔見知りとなるものです。そして気が合えば親しい間柄になるのですが、乃木はこの船でドイツ人から嫌われていました。なぜならば、乃木は「軍人には軍服さえあれば十分だ」と言って、礼服など一切持たずに旅に出たので、どこでも軍服だったからです。

 たとえば西洋流のマナーでは、食事をする時には軍服から礼服に着替えるのがマナーなのですが、乃木はそれをしませんでした。そういうことが同乗するドイツ軍人の反感を買ったのです。

 ある時エンミッヒというドイツの将校が、乃木と川上のところへ遊びに来て、相撲を取ろうといいました。この将校は日本の文化である相撲について知っていたようで、その日本の文化である相撲で勝負をし、日本の将校を打ち負かしてやろうと考えていたのです。

 エンミッヒは体格がよく、見るからに強そうであったため、乃木と川上は面倒と思い、「あなたには敵わないでしょうから、やめておきましょう」と断りました。

 エンミッヒはこれを面白がって、船の中でそれを話し、ドイツ軍人は日本軍人よりも強いと吹聴して回りました。その後もエンミッヒは面白がって相撲に誘ってくるのですが、乃木と川上は無視をしていました。しかしこれが6日間続くと、とうとう乃木は堪忍袋の緒が切れて、相撲に応じる事にします。

 

乃木が知らしめた強さと日本人の心… 続きを読む

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南 関太郎

南 関太郎

フリーライター

2011年よりフリーライターとして執筆を開始。日本の歴史を中心に、ビジネス、経済などの分野においても執筆している。

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