明治を駆け抜けた偉人達(第5回)

黒田清隆~物事を丸く収める秘訣は“武士の情け”

2015.02.17 Tue連載バックナンバー

 日本を代表する武道である剣道の試合は、相手と礼を交わすことに始まり、勝っても負けても再び相手と礼を交わして終わるものです。剣道のみでなく、日本の武道はすべて礼を重んじるもので、たとえば格闘技のように、試合前に相手と睨み合ったり、試合が終わればガッツポーズをきめるなどということがありません。これは、日本の武道には、日本の伝統精神である武士道が生きており、武士道には「相手を重んずる」という考えがあるからです。

 この「相手を重んずる」ということは、何も武道の上のことだけではなく、歴史上の実際の戦場にも存在します。戦国時代でいえば、上杉謙信が武田信玄に塩を送った話がそれですが、明治の世にも、「相手を重んずる」逸話がいくつもあります。

 その中の一つとして今回は黒田清隆を挙げようと思います。

 

函館戦争で見せた、武士の情け

 黒田清隆は、初代内閣総理大臣の伊藤博文の後を継ぎ、日本で2番目の内閣総理大臣に就任した人物です。元々は薩摩藩(鹿児島県)の武士で、薩長同盟のために奔走したことで知られ、盟約の前には薩摩側の使者として長州に赴いて説得を行っています。

 戊辰戦争でも活躍しています。討幕戦争の皮切りとなった鳥羽・伏見の戦いでは、新政府軍の小銃第一隊長として闘い、東北の佐幕諸藩(江戸幕府側の藩)との戦争では参謀を務めています。戊辰戦争の最後の舞台となる北海道の五稜郭にも参戦しており、黒田清隆は明治新政府軍の総指揮をとっていました。

 その際に、五稜郭で籠城する旧幕府軍の榎本武揚に、武士の情けをかけています。

 立て籠もった旧幕府軍は、日に日に劣勢となっていきました。榎本武揚は切腹の覚悟を決めていましたが、唯一つ心残りがありました。… 続きを読む

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南 関太郎

南 関太郎

フリーライター

2011年よりフリーライターとして執筆を開始。日本の歴史を中心に、ビジネス、経済などの分野においても執筆している。

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