温故知新 時代を作ったビジネス書から学ぶ(第2回)

人材と資金を動員したビジョナリスト・渋沢栄一

2015.01.04 Sun連載バックナンバー

 温故知新――故き「ビジネス書」を温ねて、新しき「経営課題」を知る連載の第2回目は、渋沢栄一の『論語と算盤』を取り上げます。

 渋沢栄一は江戸から明治、大正にかけて活躍した実業家です。幕末の外遊時に知った「株式会社」という西洋の仕組みを日本に輸入し、適材適所で資質ある人材を次々と専門的経営者に任命していきました。そして商業銀行の頭取として、数百もの会社設立に関与したのです。

 渋沢は日本近代化のリーダーとして、フォロワーである多数の専門的経営者に、「商業の道徳に従い多数の者に利益を与える」という、自らのビジョンを語り続けました。そのビジョンが、大正時代の1916年に発売された『論語と算盤』に記されています。

 

日本に株式会社と商業銀行を導入した近代化の父・渋沢栄一

 まず、渋沢栄一がどんな人物だったのか、確認しておきましょう。渋沢栄一は、江戸時代末期の1840年2月、武蔵国の榛沢郡(埼玉県深谷市)で、藍問屋などを営んでいた豪農に生まれました。6歳から儒教の聖典『論語』や、武家の興亡『日本外史』を学びました。青年期は江戸幕府を打倒する尊王攘夷運動に関わっていましたが、ある時期から最後の将軍となる徳川慶喜に仕えます。

 1867年、パリの万国博覧会にフランスから徳川将軍家が招待されると、渋沢は会計係として随行しました。彼はヨーロッパで、株式会社や商業銀行という資本主義の仕組みを学びました。明治維新により帰国後、明治政府に招かれ大蔵省に入省し、会社の起業規則の制定などに取り組みました。1873年退官して念願の実業界に入ると、1875年には35歳で第一国立銀行の頭取となり、76歳で実業界を引退するまで、この銀行を活動の拠点としました。第一国立銀行は、日本で初めてできた近代的な商業銀行で、現在のみずほ銀行に当たります。1916年に引退後、1931年に永眠する直前まで、日米親善や公益事業に取り組みました。

 1886年、渋沢栄一記念財団の前身が設立されると、その機関誌に渋沢栄一の講演録が掲載され始めます。『論語と算盤』は、この講演録を編集したものです。今回は、渋沢栄一著 守屋淳訳『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書827,2010年)[以下「論語と算盤」]から、渋沢のビジョンを紹介します。

 

資本の蓄積ではなく、富の分散による国全体の繁栄を求めた

 渋沢栄一のビジネスに対するビジョンは「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」(論語と算盤p.164)というものです。

 明治時代の多数の経済人は、富を独占・蓄積し、財閥に成長させていきました。そんな時代に、渋沢は「多くの人の利益」を求めたのです。彼は富の分散に適した株式会社という仕組みに注目します。… 続きを読む

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鈴木 健治

鈴木 健治

特許事務所ケイバリュエーション 所長 弁理士

経済産業省産構審小委員会の臨時委員、(財)知財研 知的財産の適切な活用のあり方に関する委員会委員などを歴任。著書に「知的財産権と信託」『信託法コンメンタール』(ぎょうせい)、論文に「知材重視経営を支えるツール群に関する一考察(月刊パテント)」などがある。取引先の経営者・担当者にビジネス書の書評をお届けしている。公式サイト:http://kval.jp/

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