歴史を動かした女たち(第4回)

日野富子~悪女か守銭奴か、幕府を守った経営者か?

2015.03.10 Tue連載バックナンバー

 室町時代中期、世の中が戦国へと突入していく中、後世に悪女、守銭奴と呼ばれながらも、経済・政治・外交に卓越した手腕を発揮して、室町幕府を守った日野富子という女性がいました。

 日野富子は、室町幕府8代将軍・足利義政の正妻です。政治に興味を失い、趣味に傾倒する義政に代わり幕府の政治に参与し、その後継者争いにも介入、戦国の世の幕開けとなった応仁の乱を引き起こした張本人とされます。彼女は京都の七口(京都につながる七つの街道)に関所を設け税金を徴収したり、高利貸しを行ったりして巨額の財をなし、私利私欲に走ったとされており、“悪女”と呼ばれることが多い人物です。

 しかし、富子は本当に悪女だったのでしょうか? 彼女の人生を振り返ると、そうとは簡単に言い切れないように見えます。

 

恐怖政治の果てに弱体化した足利政権

 日野富子やその夫の足利義政について知るには、義政の父である6代将軍義教の治世を把握しておく必要があります。

 義教は恐怖政治を行ったことで知られる将軍です。特に守護大名に対して厳しい態度を取り、一色氏や土岐氏などの一族を滅亡させています。それが原因となり、赤松氏によって暗殺されてしまいました。

 足利将軍家はもともと直轄の財力や軍事力に脆弱な政権でした。その政治体制は、将軍と管領(将軍を補佐する役職。畠山・細川・斯波氏が三管領と呼ばれた)、そして守護大名の連合政権で成り立っていました。しかし義教は、将軍家の権力強化のため、守護大名を徹底して弾圧したのです。

 義教が討たれた後の将軍職は、わずか10歳の長男義勝が継ぎますが早世してしまいます。そこで二男で8歳の義政が将軍候補となり、当時の管領・畠山持国に推されて14歳の時に8代将軍に就任します。将軍家の権力は義教の死によって弱まっており、義政が小さい頃は畠山氏、細川氏といった管領による政治が行われていました。

 

“嫉妬が原因で乳母を殺害”はウソ

 富子は1440(永享12)年、足利将軍家と姻戚関係を持つ公家の日野家に生まれ、1455(康正元)年、16歳で義政の正妻となります。

togudo01 富子が義政の正室になった頃、青年将軍・義政の周囲はその臣下たちが取り巻いており、盛んに政治に介入していました。この状況に対し、世間は「今の政治は御今、有馬、烏丸の“三魔”が行っている」と非難したといいます。“御今”とは義政の乳母の今参局(いままいりのつぼね)、“有馬”は将軍の近習(きんじゅ、主君のそばに仕える役)である有馬持家(ありまもちいえ)、“烏丸”とは生後間もない義政を養育した公家の烏丸資任(からすますけとう)のことです。

 しかし、富子と義政との間に男子が誕生し、その子が生後間もなく亡くなると事件が起こります。富子が産んだ男子が今参局の呪詛により殺されたとの噂が広がり、琵琶湖に流罪となった今参局は、配流の途中で自害に追い込まれます。富子が義政の寵愛を受けていた今参局に嫉妬して殺害したようにも見えるため、“富子悪女説”の要因の一つになっています。

 実際は… 続きを読む

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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

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ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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