歴史を動かした女たち(第3回)

巴御前と山吹御前~男も顔負け、強すぎる武家の女

2015.03.05 Thu連載バックナンバー

 日本の長い歴史の中で、女性はほとんどの時代で男性よりも地位が低い時代が続きました。そんな中で、燦然と女性が輝く時代があります。そのひとつが、平安~鎌倉時代です。

 今回はそんな平安・鎌倉期において、男顔負けの武勇を誇った巴御前、山吹御前の足跡を追ってみます。

 

なぜ平安~鎌倉期は女性の地位が向上したのか

 彼女たちの話を進める前に、なぜ平安・鎌倉期は女性の地位が高かったのか、予め述べておきましょう。

 大正~昭和にかけて活躍した作家・平塚らいてうの有名な言葉に「原始、女性は太陽であった」とあるように、原始から古代にかけては女性の指導者が存在していました。邪馬台国には女王・卑弥呼がいましたし、飛鳥時代から奈良時代になると女性の天皇が現れ、内政に外交に軍事にと幅広く活躍しています。

 平安時代に貴族中心の社会になると、女性の地位は劣ってしまいましたが、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、女性の地位は再び向上します。

 この時代になると、武士の力が貴族を凌ぐようになるとともに、それまでの結婚形式に変化が現れます。それは男性が女性の家に訪れていた「妻問婚」から、男性の家に女性が嫁ぐ結婚の形態に変わったのです。

 戦乱の世では戦闘で家を空けがちの男性に代わり、女性がその領地を管理したり使用人をまとめたりする役目を担うようになります。そのため、女性にも財産の分与が認められており、その地位は安定していたのです。

 しかし、戦国時代に入ると女性の地位は低下していきます。高級武家の娘たちは政略結婚の道具とされ、江戸時代には幕藩体制のもと儒教思想が広がり、女性の地位は著しく低下、男尊女卑の風潮が蔓延してしまうのです。

 

武将の“愛人”なのに強い理由

 巴御前と山吹御前は、いずれも女性の地位が高かった平安時代の末期に活躍した女性です。彼女たちは、源平合戦で活躍した木曽義仲(源義仲)に仕えた便女(びんじょ)でした。便女とは、元来は召使いとか美女とかの意味です。しかし彼女達は、義仲の愛妾(あいしょう:気に入りのめかけ)でありながら、甲冑を身にまとって戦闘に参加していた女傑。一手の軍勢を率いて戦う部将としての役目を担っていました。

 彼女たちが仕えた木曽義仲は、松明を角に付けた牛を放ち平氏(平家)軍を破った倶利伽羅峠の戦いや、のちの征夷大将軍・源頼朝の討伐軍に敗れた宇治川の戦い、粟津の戦いで知られる武将です。京都で乱暴狼藉をはたらいたため“荒くれ者”のイメージがあるかもしれませんが、源頼朝や義経らと同じく源氏の血を引いた人間です。

 義仲は源氏の棟梁・源為義の子である源義賢の次男として生まれました。義賢は父為義とともに京都で朝廷に仕えていましたが、父・為義と兄・源義朝の間に対立が生じると、義朝を抑えるため父の命で東国に下向します。

 しかし義賢は、義朝の長男・源義平に居館を急襲され討死。この時、駒王丸と名乗っていた2歳の義仲は木曽(長野県の木曽川流域)に逃れ、木曽の有力豪族で育ての親でもある中原兼遠(なかはらのかねとお)に庇護されます。

 巴御前は、一説によれば… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter