歴史を動かした女たち(第2回)

北条政子~明治まで続く武家支配の歴史を作った女傑

2015.02.13 Fri連載バックナンバー

 男性を中心に語られることが多い日本の歴史。しかし、日本には女性がその時代を動かしているという史実があります。女性の社会進出が叫ばれる現代、本連載ではそうした女性たちにスポットをあて、彼女たちが歴史の中で果たした役割を探ってみましょう。

 平安時代末期、世の中の趨勢は朝廷・貴族から武士へと移行していきます。その流れは源頼朝が鎌倉幕府を開くことで定まり、以降、約700年もの間、武家の政権が続きます。第2回目では、頼朝が創設した鎌倉幕府を盤石にした女傑・北条政子を紹介します。

 

鎌倉幕府を創立した頼朝を支える

 北条政子は、日本初の武家政権・鎌倉幕府を創立した源頼朝の正妻です。頼朝の死後、幕府の政治に参与したことから「尼将軍」とも呼ばれました。

 政子は1157(保元2)年頃、伊豆国(静岡県伊豆半島部分)の豪族・北条時政の長女として生まれました。父の時政は、当時絶大な力を持っていた平家の命により、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝を監視する役目を担っていました。

 しかし、時政が京都に赴任中、政子は頼朝と深い恋仲になってしまいます。この事実に時政は驚愕しました。なぜなら、頼朝は平家の敵、清和源氏の嫡流(直系の血筋)で、平家に逆らった重大な政治犯です。時政は政子を伊豆の目代である、平家側の山木兼隆に嫁がせようとしましたが、政子は出奔し頼朝のもとに走ります。治承2(1178)年に頼朝との間に長女大姫が誕生したこともあり、北条時政は頼朝の庇護者となっていくのです。

 治承4(1180)年、後白河法皇の息子である以仁王は、諸国の源氏に打倒平家の挙兵を呼びかけます。頼朝もこれに応え挙兵し、山木兼隆を討ち取ります。しかし、続く石橋山の戦いで平家軍に敗れ、命からがら房総の安房国(千葉県南部)に逃れます。この時、政子は避難先の伊豆権現から頼朝の無事を祈るしかありませんでした。

 安房に逃れた頼朝は、房総に大きな勢力をもつ豪族達を味方につけ、勢力を挽回、鎌倉に凱旋し政子を呼び寄せます。この間に政子は嫡男の頼家を出産しています。

 この後、頼朝は京都で暴れていた木曽義仲(頼朝の従兄弟)を討ち、さらに壇ノ浦に仇敵・平家を滅ぼし、1192(建久3)年、征夷大将軍に任ぜられます。日本初の武家政権である鎌倉幕府が誕生したのです。

 将軍の妻として御台所となった政子は、この年、第二子の実朝を出産します。しかし、1199(建久10)年、頼朝は落馬の怪我がもとで突然亡くなってしまいました。妻として頼朝を側面から支えていた政子は、ここから政治の第一線に登場してくるのです。

 

腹を痛めて生んだ子供はみな鎌倉幕府の犠牲に……… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter