歴史を動かした女たち(第1回)

北政所おね~秀吉を百姓時代から支えた”天下の女房”

2015.02.04 Wed連載バックナンバー

 男性を中心に語られることが多い日本の歴史。しかし、日本には女性がその時代の動かしているという史実があります。女性の社会進出が叫ばれる現代、そうした女性たちにスポットをあて、彼女たちが歴史に果たした役割を探ってみましょう。

 戦国時代末期、天下統一を果たし安土桃山時代を創出した豊臣秀吉。しかしその覇業は秀吉一人の力では成し遂げられませんでした。そこには小者時代から秀吉を支え続けた正妻・北政所(おね)の存在があったのです。

 

秀吉の出世はおねとの結婚がきっかけ

 北政所は、天下統一を果たした豊臣秀吉の正妻で、通常「ねね」「おね」の名で呼ばれています。そもそも北政所とは、朝廷から贈られる称号で、天皇を補佐する摂政・関白の正妻を指します。ですから歴史上は何人もの北政所が存在していたのです。しかし、今では北政所は「おね」の代名詞ともいえます。この理由は、彼女が単に秀吉の妻というだけではなく、天下人の補佐役として卓越した政治手腕を振るったことによるのです。

 ※このコラムでは、最も一般的な「ねね」ではなく「おね」の名を用います。安土桃山時代の資料に「ねね」という記載がなく、秀吉の手紙の宛名にも「お禰」(おね)とあることによります。

 おねは、1548(天文10)年頃、尾張国の郷士で織田信長の臣・杉原定利の次女として生まれ、後に叔母の嫁ぎ先である織田家弓組の浅野長勝の養女となります。そんな、おねの運命を大きく変えたのは、当時藤吉郎と名乗っていた後の豊臣秀吉との結婚でした。

 おねの実家杉原家は小なりといえどもれっきとした武士の家柄です。織田信長の足軽で、苗字を持たない下層の百姓出身である藤吉郎との結婚は、当時の風潮からすると叶うことではありませんでした。事実、この結婚にはおねの実母である朝日が大反対をしています。一説では、藤吉郎との結婚の為に親戚の浅野家が、朝日の反対をみかねておねを養女にしたともいわれています。

 しかし、いずれにせよ藤吉郎との結婚が、その後のおねの運命を定めたのは間違いのない事実でした。おねとの結婚により杉原家の親戚である木下の姓を名乗るようになった藤吉郎はその後、信長のもとで数々の功績をあげていきます。そして、柴田勝家、佐久間盛政など信長麾下の数多の宿老に先んじて1573(天正元)年、近江長浜城を与えられます。最下層の百姓出身の藤吉郎が13万石もの城持ちの大名、羽柴(豊臣)秀吉に出世したのです。

 

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高野 晃彰/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

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ベストフィールズ代表

大手アパレルで店舗開発を担当、その後、専門誌系出版社で企画編集を中心に勤務、退社後、編集プロダクション「ベストフィールズ」とデザインワークス「デザインスタジオタカノ」を立ち上げる。旅行・歴史・フード・ペット・マリンスポーツなどのエンタメ系から経済、ファッションまで幅広い分野での書籍・雑誌・ムック・商業制作物の執筆、編集、撮影、制作を行なっている。

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