歴史書店 三冊堂(第14回)

伊達者と呼ばれた伊達政宗、本当に伊達者だった?

2014.12.13 Sat連載バックナンバー

 「伊達眼鏡」とか「伊達男」とか、ちょっとかっこいいところを見せようとするときに出てくる“伊達”という言葉が、東北の戦国大名・伊達政宗に由来するのは有名な話です。

 政宗は若くして南奥州を統一する力量を発揮しましたが、三大天下人(信長・秀吉・家康)よりかなり遅く生まれたために、天下統一戦には名乗りを上げられませんでした。そこで豊臣秀吉に屈するしかなかったわけですが、その後も天下人に抗い続けた反骨精神あふれる人物です。

 その政宗、誕生日は旧暦の8月3日で、血液型はB型とわかっています。石田三成真田幸村、北条一族や長宗我部一族など、有名でも誕生日が不明の戦国武将は少なくない中、誕生日から血液型まで判明している政宗は稀有な存在といえるでしょう。

 奥州に君臨した英雄なのだから、それくらい判明して当然だろうと思われるかもしれません。しかし正直なところ、当時の奥州は田舎どころか「秘境」です。信長の天下統一の魔手もついに届きませんでしたし、政宗だって奥州を統一しても、天下統一の争いに打って出ることはかなわなかったのです。

 そんな田舎のお殿様の記録がしっかり残っているのは、当時から現代までずっと、政宗が愛されてきたからに違いありません。

 政宗が人の心をつかんだ理由は、現代にも伝えられている“伊達者”ぶりでしょう。

 小田原攻めに遅参したときには死装束で詫びに現れて秀吉の度肝を抜き、江戸幕府の二代目将軍・徳川秀忠の治世に謀反の嫌疑をかけられたときは、芸者や楽士(音楽を演奏する人)を集めて遊興にふけり、そんな意志はないと言外に示しました。

 しかし、政宗の真の魅力は、それだけでは語り尽くせません。見る人の目によって、その印象がまったく変わるところも魅力のひとつです。

 たとえば、政宗を警戒した上杉家家老・直江兼続… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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