日本の情報通信技術をめぐる旅(前編)

電話のはじまりとスマートフォン誕生までのあゆみ

2014.10.16 Thu連載バックナンバー

 みなさんは「電話」と聞いて、まずなにを思い浮かべますか? 「スマホやガラケー」と答える方が大半かもしれませんが、なかには自宅で利用していた「黒電話」、タバコ屋の前に置かれた「赤い公衆電話」を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。「デルビル」という言葉にピンときた方は、かなりの通かもしれません。

 そんな電信電話に関する膨大な歴史的資産を系譜化して展示しているのが、東京武蔵野市にある「NTT技術史料館」です。身近なツールである電話ですが、その歴史は意外に知られていません。そこで、そのNTT技術史料館を訪ねて、電信電話や情報通信の変遷をご案内。前編となる今回は、電話のはじまりからスマートフォンまで、その進化の歴史をレポートします。

(資料提供&撮影協力:NTT技術史料館)

 

ペリーが開国とともにもたらした電信機

 1853(嘉永6)年、鎖国をしていた江戸時代の日本へ艦隊を率いて来航し、開国への交渉を要求したマシュー・ペリー。小学校や中学校の歴史の授業で、「黒船」という言葉とともに暗記された方も多いと思いますが、彼こそが日本の電気通信の歴史を開いた人物だということをご存知の方は少ないのではないでしょうか。

 1854(安政1)年に再度来航したペリーが幕府に献上した電信機によって、日本人はエレキテルの応用である電信技術にはじめて接しました。その重要性を熟知していた明治政府は、開府した1868(明治元)年に電信の官営を決定。翌年の1869(明治2)年には東京─横浜間で「公衆電信サービス」を開始します。これはいまでいうなら、簡単な文字が送れる電報サービスのことです。

 

公衆電信サービスのはじまり

 ご覧の通り、この頃の電報は受信機の文字を読み取る人と書く人に分かれています。もちろん、文面はすべて手書きです。一方が送られてきた記号を読み上げ、もう一方が筆でしたためたメッセージを、指定された住所宛に配達する電報サービスは約150年前に実用化されました。中央の洋装の人物は政府が招聘した外国人技術者です。

 

●ブレゲー指字電信機

 電信サービスには文字を指し示す電信機として「ブレゲー指字電信機」が使われました。もともとは江戸幕府がフランスから購入したものでしたが、輸送中に江戸幕府が崩壊。明治新政府の手に渡ったという経緯があります。やがて電信サービスの主流は、より便利なモールス符号による電信機に移り変わっていきます。

 

●国産1号の電話機

 1876(明治9)年にベルが電話機を発明すると、早くも翌年にはその電話機を日本に輸入し、ベルの電話を模倣して国産電話1号機が41台つくられます。この電話機は、省庁内で内線電話として使われていたのですが、当時の記録を見ると「幽霊がしゃべっているようだった」とあります。非常にか細い声しか伝わらなかったので、現実の電話サービスに使われることはありませんでした。

●デルビル磁石式電話機

 結局、電話機の国産化はあきらめ、イギリスから輸入したガワーベル電話機を採用。1890(明治23)年に東京―横浜間で「電話交換サービス」が開始されました。1896(明治29)年、これまでの「ガワーベル電話機」に代わり、より高感度な「デルビル磁石式電話機」が採用されます。当初は現在の携帯電話のようにバッテリー内蔵型だったそうです。この後、デルビル磁石式電話機はモデルチェンジを重ね、1965(昭和40)年頃まで約70年間にわたり現役で活躍します。いまでも古い邦画のなかで登場する場面を見かけたり、実際に使用した経験もあるなど記憶にある方もいらっしゃるのではないでしょうか。… 続きを読む

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Bizコンパス編集部

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