2017.04.19 Wed

スナック菓子の元祖「かっぱえびせん」の競争力

かっぱえびせん

 今や3,188億円という巨大な市場規模に成長した「スナック菓子」市場(出典:富士経済『2017年 食品マーケティング便覧 No.1』)。その業界の嚆矢となったのが、1964(昭和39)年に発売された、カルビーの「かっぱえびせん」です。

 今では同市場で半分以上のシェアを握るカルビーの礎を築いたともいえる商品ですが、類似商品があまり登場することもなく、現在も発売され続けています。今回は「かっぱえびせん」の歴史を振り返りながら、そのロングセラーの秘密に迫ります。

 

開発のきっかけは“母の味”

 カルビーの創業者である松尾孝が、同社の前身である松尾糧食工業を広島市に設立したのは、1949(昭和24)年のことでした。当時は、食糧難がまだ続く戦後の混乱期。松尾は、政府による統制で入手しづらく高価だったお米以外の食材を使い、腹持ちがよくて美味しいものを作ることはできないかと考えました。そこで目を付けたのが、輸入が自由化され、安価で手に入れられた小麦粉でした。

 松尾は、まず小麦粉を使った人造米作りに成功します。さらに、その改良のため、うどん屋の友人に小麦粉加工のノウハウを相談したり、手作業で釜の研究に取り組みます。これらのことは、後に生産工程を機械化する際に大変参考となりました。

 松尾は、小麦粉を使用したあられを商品化するにあたり、そのキャラクターの制作を、1953(昭和28)年から週刊朝日で連載していた「かっぱ天国」という漫画がヒットしていた漫画家の清水崑(こん)氏に依頼します。長崎市出身の清水氏と広島市出身の松尾は、ともにふるさとが被爆地ということもあり、すぐに意気投合。新商品のキャラクターは、清水氏の描くかっぱに決まりました。

 新商品は、清水氏が描くキャラクターにちなんで、「かっぱあられ」と名づけられ、1955(昭和30)年に発売されます。

 同年、松尾は社名をカルビー製菓に変更します。カルシウムの「カル」と、ビタミンB1の「ビー」を組み合わせた造語で、戦後の食糧難による栄養不足の時代に、「皆さまの健康に役立つ商品づくりを目指す」という思いが込められていました。

 「かっぱあられ」が発売された頃は、物流網がそれほど発達していませんでした。そのためカルビー製菓の販売エリアは、工場のある広島から近い中四国・九州地方に限られていましたが、それでも「鶏卵せんべい」「かっぱの一番槍」など、20種類以上ものシリーズ商品を発売し、ヒットさせました。

 松尾は、「かっぱあられ」のシリーズ商品を開発する中で、エビを使ったものを作ることができないかと考えるようになりました。というのも、松尾には、子どもの頃に母親に作ってもらった瀬戸内海の小海老を使ったかき揚げの味が、想い出として残っていたのです。

 当時、瀬戸内地方の小海老は、かき揚げや乾燥海老などに一部が使われているだけで市場にはあまり出回らず、未利用資源といってもいい程の存在でした。松尾の創業の志は、使われていない素材で、世の中に役立つ商品を手に入れやすい価格で広めるというものでしたが、瀬戸内海の小海老を原料に使うということは、その志にも合致していました。そこから、エビを使った新商品開発への挑戦が始まります。

未利用の資源を有効活用した商品

市場価値の無かった小海老を活用した「かっぱえびせん」のように、カルビーの商品には、でんぷんとして使われていた馬鈴薯を使った「ポテトチップス」、穀物を丸ごと使う「グラノーラ」、ポテトチップスの規格に合わない馬鈴薯を使うことから生まれた「じゃがりこ」など、自然の恵みを有効活用した商品がたくさんあります。

 

長さは5cm!筋は10!一本に込められたこだわり

 エビを使った「かっぱあられ」を開発するために、松尾の頭を悩ませたのが、生地にエビをどのように加えればいいのかという点でした。

 松尾は乾燥させて粉にしたり、ボイルして入れたりするなど工夫をしますが、納得のいく味が得られず、試行錯誤を繰り返しました。そして、最後にたどり着いたのが、… 続きを読む

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カルビー株式会社について
■ 事業内容菓子・食品の製造・販売
■ 設立年月1949年4月
■ 本社所在地〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-8-3丸の内トラストタワー本館22F
■ 従業員数(連結)3,728人(2016年3月31日現在)
■ ホームページ

http://www.calbee.co.jp

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