2017.08.08 Tue

カリスマ経営から全員経営へ、二代目が挑む組織改革

ホクト 代表取締役社長 水野 雅義 氏

 1964年、創業者の水野正幸は脱サラし、ホクトの前身である「デラップス商事」を設立した。食品包装資材の販売でビジネスをスタートしたが、1964年に発生した新潟地震で、きのこの栽培ビンが割れて多大な被害が出たことを知り、割れないきのこ栽培用P.Pビンを開発。これが大ヒットし、きのこ中心の農業資材の販売にシフトする。1968年には、長野市に本社を移転するとともに自社工場を新設。1972年、社名をホクト産業に変更した。

 現社長の水野雅義が生まれたのは、デラップス商事設立の翌年だ。水野は、中学校でバスケットボール部、高校で野球部に所属したが、体格に恵まれず、いずれの部でも試合の出場機会は少なかった。

 「高3のとき、リリーフ投手として登板した程度で、あとはずっと裏方でしたね。その経験を通して裏方の大切さが身に染みてわかったので、経営者になった今も、営業など花形の仕事だけではなく、事務や荷繰りなどの仕事にも、しっかり目を向けるようにしています」

 

「白いエノキ」事件を機に、きのこ生産を本格化

 1982年、水野が青山学院大学経営学部へ進学した頃、ホクトはきのこ農家の支援を強化するために「きのこ総合研究所」を設立、鳥取大学と共同で新たな品種や栽培技術の開発に取り組みはじめた。その研究の成果が実り、1986年、世界初の真っ白なエノキダケ「ホクトM-50」の開発に成功する。この品種は、瞬く間に全国のきのこ農家へ広がっていった。

 「白いエノキの売上げが拡大する中、会社を揺るがす事件が発生します。ある生産者が当社とまったく同じ白いエノキの販売をはじめたのです。盗用だと抗議しましたが、その生産者は『偶発的にできた』と言い張り、埒があきません。結局、裁判沙汰になりましたが、当時はDNA鑑定技術がなく、ホクトの菌種だと立証できませんでした」

 先代は、この事件を機に、菌を売るだけではなくきのこを自主栽培する方向へ事業を転換する。水野が大学を卒業し、ホクトへ入社したのは、ちょうどこの時期だった。

 

 “信越きのこ戦争”勃発、熾烈な営業合戦が繰り広げられる… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

水野 雅義(みずの まさよし)
1965年長野県出身。青山学院大学経営学部卒業後、ホクト産業(現ホクト)入社。1995年常務取締役、1997年専務取締役に昇格、きのこ生産本部長、管理本部長、きのこ販売本部長を歴任。2005年取締役副社長、2006年に代表取締役社長に就任。

ホクトについて
■ 事業内容合成樹脂の成型及び製品販売、農産物の生産資材、機械等の製造販売、農産物の生産及び生産指導、農産物の加工及び販売、前各号に附帯する一切の業務。
■ 設立年月1964年
■ 本社所在地長野県長野市南堀138-1
■ ホームページ

https://www.hokto-kinoko.co.jp/

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter