2016.08.16 Tue

ヤマハ社長が経営において最も大事にするものとは

ヤマハ株式会社 代表取締役社長 中田 卓也 氏

 世界最大の総合楽器メーカーとしてその名を馳せるヤマハ株式会社。明治時代の1887年に創業し、1897年に日本楽器製造株式会社としてスタートした同社は、創業100周年となる1987年に社名をヤマハに変更。ピアノをはじめ、弦楽器や管楽器、打楽器、電子楽器など幅広く展開している。さらに、業務用音響機器やコンシューマー向けAV製品、ネットワークルーター、半導体、ゴルフ用品、自動車用内装部品なども世に送り出している。

 そんな多角的企業のトップに立ち組織を束ねているのが、2013年6月に代表取締役社長に就任した中田卓也だ。

「売上は大まかに言うと楽器が6割で、音響が3割、その他が1割という比率になっています。楽器市場はグローバル全体でみれば成熟していますが、収益性はまだまだ上げられると思っており、これからはいたずらに売上規模を追求するのではなく、収益力を高めることに取り組んでいきます。一方、需要の拡大が期待できる音響機器については、対象とする事業領域も広げながら、売上を伸ばしていくことを考えています」

 同社の事業で見逃せないのが、音楽教室などのスクール事業だ。ヤマハブランドの浸透や楽器の普及にも重要な役割を担う。

「スクール事業は、中国や東南アジアなどで今後チャンスが拡大するので、力を入れていこうと考えています。もっと多くの人に楽器を演奏する楽しさを知っていただきたいですし、現地のニーズに合わせて、日本よりも敷居を下げて展開することも考えています」

 

おもちゃも機械も何でも分解する子供

 中田は1958年に岐阜県南東部の瑞浪市で生まれた。自然豊かな環境で野山を駆けまわりながら育った中田は、玩具や機械をいじるのが大好きだったという。

「親に買ってもらったオモチャは、1時間と経たずに全部バラバラにしてしまいました。中の仕組みがどうなっているかを知りたかったのです。好奇心だけは人一倍強かったと思います」

 中学時代はテニス、高校では陸上と部活に取り組む一方で、ギターにも興味を持ち、友人とロックバンドを組んだ。上京して慶應義塾大学に入学してからも音楽を続けるが、バンドには入らず、シンセサイザーで多重録音などを楽しんだ。この頃は金を貯めては楽器を買っていたという。

 機械と音楽のいずれにも関わる企業として、中田がヤマハ(当時の社名は日本楽器製造)を志望し入社することになったのは、自然なことであった。

 

大ヒット商品の開発に携わる

 入社後はじめて配属されたのは“YIS(ワイズ)プロジェクト”というコンピュータ開発を手掛ける新分野の組織だった。当時は… 続きを読む

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中田 卓也(ナカタ タクヤ)
1958年、岐阜県生まれ。1981年に慶応義塾大学法学部を卒業し、日本楽器製造株式会社(現ヤマハ株式会社)に入社。2006年に執行役員、2009年に取締役執行役員に就任。2010年にヤマハコーポレーションオブアメリカ社長、同年ヤマハ上席執行役員に就任。2013年6月に代表取締役社長に就任。

ヤマハ株式会社について
■ 事業内容楽器、音響機器、電子部品、その他の製造・販売
■ 設立年月1897年10月
■ 本社所在地静岡県浜松市中区中沢町10-1
■ 資本金285億34百万円
■ 業種製造販売業
■ ホームページ

https://www.yamaha.com/ja/

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