2016.08.02 Tue

モノと人と情報をつなぐ“最後の1cm”が世界を変える

サトーホールディングス株式会社 代表取締役社長 兼 CEO 松山 一雄 氏

 RFIDやラベルプリンタなどの自動認識ソリューションで世界をリードするサトーグループ。サトーホールディングスの代表取締役 兼 CEOを努める松山一雄は、MBAを取得するため30歳でサトーを退職し、10年の歳月を経て再び入社してトップへ登りつめた異色の経歴の持ち主である。

 

MBAを取得するために大好きだったサトーを退社

 青山学院大学文学部英米文学科に進学した松山は、英語の上達を目的にESS(英語会)のディベート・グループに入会。大学3年のとき、全国優勝して日本代表に選ばれ、全米25の大学を回り現地の学生とディベートをする機会に恵まれた。松山は、ディベートで出会った現地の優秀な学生たちと交流を持つ中で、彼らが「将来はロースクールへ進んで弁護士になるか、MBAを取って経営者になりたい」と夢を語る姿に刺激を受け、自分も将来ビジネススクールにチャレンジしたいとの思いが芽生えていった。

 帰国した松山は、大学卒業と同時に鹿島建設へ入社。ここで経験を積み、機会があれば留学してMBAを取得しようと考えた。鹿島建設では2年間国内の現場で働いた後、マレーシアへ赴任。この異国の地でサトーとの接点が生まれた。鹿島建設からサトーに転職した先輩から「一緒にやらないか」と誘われたのだ。サトーの描くグローバル戦略に共感した松山は、周囲の反対を押し切り転職を決意。

「入社してすぐ財務責任者としてマレーシア工場の立ち上げに携わりました。10歳以上年上の社員を率いなければならず、当初は苦労しましたが、現場で4年間汗を流すうちに先輩たちと打ち解け、徐々に落ち着いてきました。しかし、30歳を迎えたとき、このまま安定した日々を送っていていいのかという焦燥感に苛まれ、学生時代から考えていたMBAにチャレンジしたいという思いが湧きあがってきたのです」

 希望通り米国ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院に合格したが、当時のサトーに留学制度はなかったため、渡米するなら退職する以外に道はなかった。松山はサトーという会社が大好きで恩義も感じていたのでとても悩んだが、自分にとってこれが最後のチャンスと考え、苦渋の決断を下した。慰留の声も多かったが、松山の決意は固かった。

 後の二代目社長となる藤田東久夫とは、渡米を前に、サシで酒を交わし、ありったけの思いをぶつけ、夜更けまでお互い夢を語り合った。藤田は「いつでも戻ってこいよ」と松山を笑顔で送り出した。

 

10年ぶりにサトーへ復帰。海外戦略を任される… 続きを読む

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松山 一雄(マツヤマ カズオ)
1960年、東京都出身。青山学院大学文学部英米文学科卒。1983年、鹿島建設入社。1987年、株式会社サトー(現サトーホールディングス)に入社し、マレーシア工場の立ち上げに携わる。その後、サトーを退社し留学のため渡米。1993年ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修士課程修了(MBA)。P&G、チバビジョン(現日本アルコン)でマーケティングに従事し、2001年、サトーに再入社。シンガポールを拠点に国際営業本部長として海外事業を統括。2009年、取締役専務執行役員、2010年代表取締役執行役員副社長を経て、2011年10月、日本に戻り現職

サトーホールディングス株式会社について
■ 事業内容世界26カ国に開発、製造、販売拠点を持ち90を超える国々で事業を展開するラベルプリンタやRFIDなどの自動認識ソリューションのサトーグループの経営戦略の策定・経営管理を行う純粋持株会社
■ 設立年月1951年5月16日(株式会社佐藤竹工機械製作所として設立)
■ 本社所在地東京都目黒区下目黒1-7-1ナレッジプラザ
■ 資本金84億円(2016年3月期)
■ ホームページ

http://www.sato.co.jp/

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