2016.04.26 Tue

BEAMSが敢えて“効率が悪い”店作りを行う理由とは

株式会社ビームス 代表取締役社長 設楽 洋 氏

 移り変わりの早いファッション業界にあって、セレクトショップの草分けとして約40年もの間、業界をリードしてきたのが「ビームス(BEAMS)」だ。1976年にオープンして以来、ファッションや雑貨、インテリアはもちろん、音楽やアートなど、“モノ”以外のカルチャー分野にも進出してきた。

 ビームスが他のセレクトショップと大きく異なるのが、店ごとにコンセプトが異なる店づくりだ。チェーンストアはとかく画一的になりがちだが、ビームスは「100人いれば100のビームスがある」をテーマとしており、店ごとにテーマや扱う商品が大きく異なっている。

「現在、国内外で150店舗を超えていますが、ワンブランドの店ではないので、行ってみないと、どんな店かわからない。『次はどういう店をやるんですか?』と、楽しみにしてくださっているお客さまもいらっしゃいます」

 奮闘し続ける株式会社ビームスを率いるのが、代表取締役社長の設楽洋(したら よう)である。

 

“何とかしてこんな生活を手に入れたい”

 設楽は戦後まだ間もない1951年、東京の新宿で生を受けた。「洋」という名は、海が好きだった父がつけたもの。しかし父は設楽が2歳の時に結核を発症、失業し、自宅の敷地内でダンボール工場をはじめた。

「当時はオモチャなんてないので、自分で遊ぶものを作っていました。お袋からは『危ないから行っちゃダメ』と言われましたが、工場へ行くとダンボールの切れ端が落ちている。親父は手先が器用な人で、一緒になって、いろんなものを作ってくれました。創意工夫してモノを作る私の原点は、この頃にある気がします」

 設楽が成長していくにつれ、日本の生活や文化は急激に豊かになっていく。各家庭には「三種の神器」と呼ばれる冷蔵庫や洗濯機、白黒テレビが登場。設楽もアメリカのホームドラマに夢中になり、アメリカのライフスタイルに魅了された。

「あの頃は、行ったこともないのに、みんなアメリカに憧れていました。中学に入るとビートルズが現れて、洋楽に夢中になり、色気づいてお洒落にも気を使うようになります。ところが、みんなお金がないので洋服なんて買えません。

 私は、お袋が洋裁をやっていたこともあり、見よう見真似で親父のお古の服の袖を切って、ジョン・レノンが着ていたような服にリメイクしたり、作業着に当時流行っていたペンギンのマークを自分で刺繍したりしていました」

 設楽のファッションや流行に対する独特の感性は、この頃に芽生えはじめている。中学・高校とフォークバンドを結成し、ボタンダウンのストライプシャツにコットンパンツを履き、足元はローファーで、頭はアイビーカットで決めた。浪人中にアメリカのウッドストックで野外コンサートが行われると、これまでのファッションを一新。当時流行していた、長髪、ベルボトムのジーンズというヒッピーファッションを取り入れた。

 1浪の末、慶應義塾大学経済学部に入学したが、学生運動の名残で授業はやったり休校したり。鬱積した浪人時代の反動もあり、設楽は遊び倒した。大学の広告研究会に入り、晴れたら湘南の海、雨なら雀荘という生活を送った。

 当時の設楽は、メンバーと湘南で海の家を運営していたが、その時に出会った横須賀の駐屯地で暮らすアメリカの学生たちが、設楽の人生に大きな影響を及ぼした。

「年に数回、基地の中でバザーがあったので入れてもらうと、そこには… 続きを読む

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設楽 洋(シタラ ヨウ)
1951年 東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、1975年 株式会社電通入社。プロモーションディレクター・イベントプロデューサーとして数々のヒットを飛ばす。1976年 「ビームス」設立に参加。1983年 電通退社。自らをプロデューサーと位置付け、その独自のコンセプト作りによりファッションだけでなく、あらゆるジャンルのムーブメントを起こす仕掛人。セレクトショップ、コラボレーションの先鞭をつけた。個性の強いビームス軍団の舵取り役

株式会社ビームスについて
■ 事業内容紳士服、婦人服、バッグ、靴、雑貨等の販売
■ 設立年月1982年5月(創業1976年2月)
■ 本社所在地東京都新宿区北新宿4-16-12
■ 資本金2,000万円
■ 従業員数1,386名(2015年2月現在)
■ 業種服飾
■ ホームページ

http://www.beams.co.jp/

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