2016.03.08 Tue

『マッサン』を追いかけたニッカ社長が抱く夢

ニッカウヰスキー株式会社 代表取締役社長 中川 圭一 氏

 大正時代、単身スコットランドに渡り、ウイスキーづくりに人生を賭けた男がいた。ニッカウヰスキー株式会社(以下、ニッカ)の創業者、竹鶴政孝である。2014年、彼とその妻であるスコットランド人女性をモデルにした、NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』が放映され、国内のウイスキー市場に大旋風が巻き起こった。

 ニッカのウイスキーづくりは独特だ。発祥の地である余市蒸溜所(北海道工場)では、本場スコットランドでさえ珍しくなった石炭直火で加熱・蒸溜を行っており、宮城峡蒸溜所(仙台工場)ではスコットランドの伝統的な蒸溜機「カフェ式連続式蒸溜機」で製造している。その味はヨーロッパの評論家や愛飲家の舌もうならせ、ウイスキー界の権威ある賞を獲得。スモーキーな香りと重厚な樽の芳香が融合した“ジャパニーズウイスキー”の名を、海外で轟かせる先駆者となった。

 そのニッカウヰスキーを、2010年3月から代表取締役社長として率いているのが、中川圭一である。

 

一度でいいから竹鶴さんにお会いしたい

 中川は、豊かな自然が残る、東京の小平市で生まれ育った。生き物への関心が高く、暇さえあれば魚の図鑑を眺め続け、名前や形状、特徴などを覚えこんでいた。その生き物好きが高じて、1975年、東京大学農学部に入学した。

 生物の研究がやりたくて入学したものの、3年生の頃に遺伝子工学が注目されはじめたことから、学部内で“遺伝子の研究をやらないと世の中から取り残されてしまう”という雰囲気が立ち込めた。中川も農芸化学科の酵素学の研究室に入ることになる。

「農芸化学は実学に近い学科で、日本酒やハムのつくり方の授業があります。特に酒造りの授業が面白くて、漠然とですが、いずれはお酒の世界で働いてみたいと思うようになりました」

 そんなある日、中川は一冊の本に出会った。それはニッカの創業者、竹鶴政孝が書いた『ウイスキーと私』という自叙伝だった。若くして単身スコットランドに渡り、苦難を乗り越え、日本産のウイスキーを完成させた竹鶴の思いが語られており、中川は竹鶴の技術者としての情熱と生き様に圧倒された。

「一度でいいから竹鶴さんにお会いしたい、この人の会社で働いてみたいと思うようになりました」

 1979年、大学を卒業した中川は、希望通りニッカに入社が決まった。ところがその年の8月、… 続きを読む

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中川 圭一(ナカガワ ケイイチ)
1955年、東京都生まれ。1979年東京大学農学部を卒業し、ニッカウヰスキー株式会社に入社。生産技術研究所長や生産技術センター長、栃木工場長、仙台工場長などを歴任した後、2010年3月、代表取締役社長に就任

ニッカウヰスキー株式会社について
■ 事業内容ウイスキー、ブランデー、スピリッツ、リキュール類、シードル、焼酎等の製造
■ 設立年月1934年
■ 本社所在地東京都港区南青山5丁目4番31号
■ 資本金100百万円(平成25年12月31日現在)
■ 従業員数305名(平成27年12月31日現在)
■ 業種食料品
■ ホームページ

http://www.nikka.com/

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