2015.09.08 Tue

赤十字社リーダーが歩んだ“敵味方なく救う”ための挑戦

日本赤十字社 社長(国際赤十字・赤新月社連盟会長) 近衞 忠輝 氏

「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく救う」

 赤十字の創始者であるスイス人のアンリー・デュナンが提唱したこの言葉を掲げ、世界にネットワークを広げ活動する赤十字。そのうちの1社である「日本赤十字社」は、1877年、西南戦争時の負傷者の救護活動以来、国内外における災害救護をはじめ、人々を救うため幅広い分野で活動を続けている。

 現在、日本赤十字社では、国内外での災害救護、医療福祉、看護師養成、血液事業、青少年・ボランティア活動など幅広い事業を展開。国内に440の拠点があり、職員数だけでも6万人を超える。そのトップに立つのが、社長の近衞忠輝(このえ ただてる)だ。

 

鎌倉時代より700年も続く武家の流れを汲む家に生まれて

 近衞は1939年5月8日、東京で生まれた。この日はアンリー・デュナンの誕生日(1828年。現在、同日は国際赤十字デーとなっている)でもある。近衞は物心ついた時、この不思議な縁を知った。

「5月8日は戦争との関わりが多い日で、たとえば大阪夏の陣が終結した日だとも聞きました。歴史に興味を持っていたそんな時、アンリー・デュナンの名前が出てきた。戦争の中でも中立の立場で人道的活動を行う赤十字の姿に、子供ながら関心を抱くようになったのだと思います」

 近衞の初名は「細川護輝(もりてる)」である。旧熊本藩主・細川家の細川護貞(後に近衞文麿首相の秘書官を務める)と、温子(近衞文麿の二女)の次男として生まれた。兄は、第79代内閣総理大臣の細川護熙だ。細川家は、系図に清和源氏の流れであることが記される名門であり、中興の祖には細川幽斎(藤孝)や、その子の忠興(妻はガラシャ)などもいる。中でも幽斎は、足利義輝・義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、今も続く肥後細川家の基礎を作り上げた傑物だ。

 近衞はユーモアを交えながら、幼少の頃を振り返った。

「生まれは東京でしたが、まわりは熊本出身者ばかりで、古い武家のしきたりなども残っていました。母はすでに亡くなっていたので完全な男社会。上下関係もかなり厳しくて、祖父が殿様で、親父が若殿様、兄貴は若様、私は次男坊だったので“枠外”なのです。何となく居心地が悪かったという記憶があります」

 戦後は疎開先だった鎌倉に移住し、父親から能とピアノの教師をつけられた。能の師匠は、細川家のお抱えでもあった金春流の著名な能楽師だった。

「偉いお師匠さんだったのですが、子供ですからそんなことはわかりません。素っ頓狂な声を出すお能がおかしくて、兄と一緒にからかったり、稽古から脱走したりして。近くの海岸でチャンバラや野球をやって遊んでいる方がよっぽど楽しみでした」

 父親からは論語や古今集などの素読も叩き込まれた。生きる素養を身につけるのが目的だが、もちろん意味はさっぱりわからない。その一方、… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

近衞 忠輝(コノエ タダテル)
1939年5月8日、東京生まれ。学習院大学卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで2年間国際関係論を学ぶ。その留学先からの帰国途中に中東、アジアの紛争地を巡り、帰国後日本赤十字社に入社。以来、50年にわたり赤十字一筋で活躍し、2005年、日本赤十字社社長に就任。2009年11月にはアジア人初の国際赤十字・赤新月社連盟の会長に就任。

日本赤十字社について
■ 事業内容国内災害救護、国際活動、医療事業、看護師等の養成、血液事業、救急法等の講習、青少年赤十字、社会福祉事業、赤十字ボランティア
■ 設立年月1877年5月1日(博愛社設立、1887年5月に日本赤十字社に改称)
■ 本社所在地東京都港区芝大門1-1-3
■ 従業員数66,129人(職員数。2015年4月16日現在)
■ ホームページ

http://www.jrc.or.jp/

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter