2015.06.02 Tue

井村屋会長に聞く、偶然の幸運を味方にするコツとは

井村屋グループ株式会社 代表取締役会長(CEO) 浅田 剛夫 氏

遊びから“リーダーシップ”、祖母から“商い”を学ぶ

 井村屋グループと聞いて、まず思い浮かぶのは、あずきバーや肉まん・あんまん、ようかんといった商品だろう。しかし、こうした商品に加え、調味料や外食産業を手掛けていることは意外に知られていない。同社では食生活全般に広く、深く関わる“多様性”を大事にすることで、「おいしい!の笑顔をつくる」ことをミッションに掲げている。

 井村屋グループの代表取締役会長(CEO)を務める浅田剛夫は、同社が本社を置く三重県津市の出身だ。しかし、社長に就任するまで一度も本社に勤務していないというユニークな経歴を持つ。さまざまな現場を転々とし、最前線でチャレンジを続けた浅田には、いつも偶然の幸運が味方した。いろんな人との縁や社会情勢などが背中を押してくれたという波乱万丈の足跡をたどってみた。

 同窓会で小学校の担任と顔を会わせると、いまだに「あなたは、いつも走っていたわね」と言われるほど、わんぱくな少年だった。学校帰りには津城跡で遊んで帰るのが日課で、率先して遊びを考え、みんなをまとめるのが浅田の役目だった。少年時代に出会った先生や友人たちとはいまも深い親交があるという。そのときの縁が、後々の浅田の人生にも大きく影響してくる。

「子どものころから、ずっと恩師に恵まれました。児童・生徒数の少ない付属小学校・中学校でしたから仲間同士のつながりも深かった。『不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心』という啄木の歌は、まさに城跡で遊んだ楽しい子ども時代をほうふつとさせる大好きな歌です」

 中学、高校時代はバスケットボールに熱中し、また走り続けた。2年生になり、キャプテンとして率いたチームはインターハイの県予選を破竹の勢いで勝ち進む。残念ながら決勝で宿敵に惜敗するが、キャプテンとして非常にいいチームづくりができたことに手応えを感じていた。

「みんなを引っ張っていたわんぱくな子ども時代が下地となり、バスケット部のキャプテンを経験したことでリーダーシップの基本を学んだ。この経験が後々つながっていきました」

 また、家族から学ぶことも多かった。古物商を営む祖母のことが大好きだった浅田は、商いに関するたくさんのことを祖母から教わったという。

「とても元気な祖母で、引退した軍艦を高値で落札するので、商売仲間からは『軍艦ばあさん』と呼ばれていたようです(笑)。国家のために働いた軍艦を御礼の気持ちを込めて高く買い取り、それを銅や鉄、さらに今でいう希少金属などに分けて解体することで利益を上げていました。周りへの気配り、心配りで商売がうまく回ることを教えられました」

 「お金は使わないと戻って来ない」「この家はかまどの灰までお前のものだ」と、長男として家族を守る大切さを諭されたのも祖母の金言。そうした祖母の教えによって将来は商売の面白さに関わっていきたいという気持ちが芽生え、育まれていった。

 そんな浅田が上京を決意した理由は非常にシンプルだ。修学旅行で東京を訪れた際に、バスの窓から見えたスピッツを散歩させる少女に心を奪われたのだった。

「そんな可憐な少女は当時の津にいません。そもそもスピッツがいませんから(笑)。その風景を見たときに東京に憧れて、東京の大学に行くことを決めました」

 夢がかない、晴れて東京の中央大学へ進学すると、ここで不思議な偶然が浅田を待っていた。ゆくゆくの運命を暗示するかのように、最初が寿司屋、次が米屋、最後が農家、すべての下宿先が“食”関連だったのだ。これがきっかけで浅田は“食”に興味を持つようになる。

 大学生活においても浅田は多くの友人と出会い、充実した日々を送る。1964(昭和39)年のオリンピック開催に向けて、日本中が陽気なムードに包まれ、誰もが明るい未来を肌で感じていた。

 

世界が集う大阪万博とともに訪れた転機

 キャンパスライフを謳歌した浅田は就活シーズンを迎える。しかし、オリンピック後の不況により就職活動は困難を極めた。“食”関係に縁を感じて、いくつかの大手食品メーカーを訪ねるものの、いい返事がもらえない。内定をもらって大喜びした新興の魅力ある商社も、調べてみると経営状態が悪いことがわかり、泣く泣く辞退。年末に帰省した実家で頭を抱えていた。

「当時、親父がやっていた商家を継ぐ気はなかった。そんな矢先、縁のある方からの伝手で大阪にある老舗の醸造会社への入社が決まったのです。やはり、自分の運命は“食”関係にあると感じました」

 醸造会社での配属先は営業部門。仕事のできるベテランの営業マンが古くからの上客である酒問屋や乾物問屋を担当する中で、新米の浅田が担当したのは新興勢力のスーパーマーケットだった。しかし、ここでも幸運な偶然が浅田の味方になる。… 続きを読む

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浅田 剛夫(アサダ タケオ)
1942年三重県津市生まれ。津高等学校、中央大学経済学部卒。1970年井村屋製菓入社。1993年取締役就任、2001年常務取締役マーケティング本部長、専務取締役、2002年専務取締役マーケティング本部長、2003年専務取締役マーケティング本部長兼営業業務統括本部長、代表取締役社長に就任。2010年持株会社制へ移行、井村屋グループ(株)代表取締役社長に就任。2013年井村屋グループ代表取締役会長に就任。

井村屋グループ株式会社について
■ 事業内容菓子事業、食品事業、加温事業、冷菓事業、デイリーチルド事業、スイーツ事業、調味料事業、その他事業
■ 設立年月1947年4月
■ 本社所在地三重県津市高茶屋七丁目1番1号
■ 資本金22億5,390万円
■ 従業員数846名(平成27年3月31日現在、グループ連結)
■ 業種製造業
■ ホームページ

http://www.imuraya-group.com/

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