2015.03.03 Tue

清掃員から政治家へ、道無き道を行く杉村太蔵の信念

株式会社杉村商事 代表取締役 杉村 太蔵 氏

 かつて小泉チルドレンを象徴する国会議員として知られ、今ではバラエティ番組などでひっぱりだこの杉村太蔵。数奇な出会いに満ちたその半生を振り返ってもらった。

 

消極的な少年を変えた立候補

 北海道旭川市で三人兄弟の長男として幼少期を過ごした杉村は、大勢の人々と交流し全国を飛び回っている現在の姿からは想像もつかないような、引っ込み思案の子どもだった。冒険好きで活発な二人の弟とは真逆の性格で、町外に出るのもためらうほどだった。

 転機となったのは“選挙”だった。小学校4年生の2学期のこと、各クラスから一人、必ず児童会役員選挙に立候補しなければならないルールが設けられていたが、誰も手を挙げようとしない。そこであみだくじで立候補者を選んだところ、杉村が当たってしまったのである。

 覚悟を決めて挑んだ立会演説会では、替え歌を歌って大受けし、票をほぼ独占してしまう。そして翌年の6年生での児童会長選挙では、前期後期と“二期連続当選”という、開校以来初めての快挙を成し遂げる。

「このくじ引きでの当選こそが、ずっと後に政治の世界に入るきっかけとなったと言っても決して大げさではないですね。2010年の参院選に落選するまで、選挙という選挙に勝ち続けました(笑)」

 その後は中学校でも生徒会長を務めるなど、根っから備わっていたリーダーシップが完全に開花した。杉村は自身のことを「立場が人を変えるタイプ」だと表現する。

「その後もさまざまなポストに就いて変化の激しい人生を送ることになるのですが、なりたくて得たポストよりも、数奇的な巡り合いで得たポストの方が、より大きく自分は変わることができたなと感じています」

 児童会の活動と併行して小学校4年生の頃に始めたテニスにも真剣に打ち込み、わずか一年足らずで北海道小学生テニス選手権に優勝。そして中学3年生の最後の全国中学生テニス選手権ではベスト8まで勝ち進み、高校生の1997年、なみはや国体少年男子ダブルスで優勝を果たす。その腕前は、筑波大学体育専門学群にスポーツ推薦で進学できるほどだった。

 まるで絵に描いたような順風満帆の人生を送ってきた杉村だが、大学で大きく挫折することになる。

 

「働けないなら死ね」の言葉に目を覚ます

 名門・筑波大学に進学した杉村だったが、レベルの高い授業にまったくついていけなかった。テニスに対する意欲も“燃え尽き症候群”からか次第に失われ、部活動には顔を出さなくなった。体育学部の授業にも興味が持てず、女子生徒の多い他学部の講義に出席する日常を送っていた。

 ある日、法律の授業を受けていたところ、… 続きを読む

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杉村 太蔵(スギムラ タイゾウ)
1979年、北海道生まれ。2004年、筑波大学体育専門学群を中退後、清掃員のアルバイトなどを経て外資系証券会社に入社。翌2005年9月、第44回衆議院議員総選挙において最年少当選を果たす。若者の非正規雇用問題の改善などに従事するが、2010年7月の参議院議員選挙で落選。現在はタレントとして各種メディアで活躍、全国での講演活動なども行う。2013年5月より自ら立ち上げた商社「株式会社杉村商事」の代表取締役。

株式会社杉村商事について
■ ホームページ

http://www.sugimurataizo.com/

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