2014.01.28 Tue

現役最年長投手の成功法則は「一生懸命」

中日ドラゴンズ 投手 山本 昌広 氏

 今から2年前。山本は野球人生の岐路に立たされていた。

 右足首を故障し、2軍ですら登板することなくシーズンを終えていた山本は、その時すでに46歳。シーズン最多勝利数の球団記録を目前にしていたとはいえ、引退するタイミングだと山本自身は思っていた。

「その年はファームでも投げられず、だから、引退を申し出たんですよね。ところが、球団はそれでも契約してくれるというんです。なぜか分からないです。巡り合わせや自分の記録に助けられた面もあるかもしれませんが、一つ思い当たるのが、怪我をしても、もがいて練習している姿を誰かが見てくれていたのかなということ。すぐに練習を切り上げていたりしたら、おそらくダメだったでしょうね。誰かが見てくれて、もう一年やれって言ってくれたのかなと」

 山本はそういって2年前の出来事を振り返る。「巡り合わせ」と「一生懸命」。時には、「運」と「努力」に置き換えることができるこの言葉こそ、山本の人生そのものだった。

 

転機は入団5年目のアメリカ留学

 山本は日大藤沢高を出て、1984年のドラフト5位で中日に入団した。初年度から左投手にとってのエースナンバーといわれる「34」を付ける幸運に恵まれるも、入団してからの4年は1勝も挙げることができず、苦しんでいた。

「入団後の数年間は野球部員のようなものでした。給料をもらっている社会人なわけですけど、まだ野球部という感じでした。一生懸命に練習していましたけど、プロでひとつ勝つことすら想像できなかったです。最初の目標は1軍に上がること、1勝できるとは思えなかった」

 そんな山本に転機が訪れたのは5年目のことだった。それは球団からのアメリカ留学の通達である。今でこそ、メジャーリーグをはじめとしたアメリカ野球界は身近になっているが、当時はまったく状況が異なる。

「プロ野球界では、奇数の年が危ないといわれています。3、5、7年目にクビになることが多いという都市伝説的なことがありまして、その中で僕は5年目だった。いつクビになってもおかしくない状態だったので、今年が最後のつもりで頑張ろうと思っていたら、アメリカに行ってこい、と。25年前のことですが、アメリカは非常に遠い存在でね。今は、たくさんの選手がいっていますけど、僕としては、勉強するとかではなくて、球団に捨てられたなというイメージしかなかった」… 続きを読む

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山本 昌広(ヤマモト マサヒロ)
1965年生まれ。神奈川県茅ケ崎市出身。日大藤沢高を卒業後、84年のドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。5年目に初勝利を挙げると、93年には最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。翌年にも最多勝と沢村賞を受賞。以後、コンスタントに勝利を重ね、通算218勝は現役最多。現在、球界最年長選手である。

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