2013.11.19 Tue

勝ち続けるチーム作りの要諦は人間教育にあり

帝京大学ラグビー部 監督 岩出雅之 氏

帝京大学ラグビー部、監督、岩出雅之

さらなる高みを求めて挑んだ30代の若き指導者時代

「監督に就任した当時の帝京大学は上位校に入れそうで入りきれない、下位校と上位校の中間くらいの位置づけにあったと思います。早稲田に勝つこともあれば、大学選手権にも出られないようなシーズンもある……。『敵を知り己を知れば百戦して危うからず』と孫子の兵法にはありますが、その言葉とは真逆の状態でした。私自身がまだまだ大学ラグビーについては漠然としか把握できず、更に自チームの学生のこともしっかりとわからない、自分も未成熟ですべてをコントロールすることができていない。そんなところからスタートしました」

 岩出雅之が帝京大学ラグビー部監督に就任したのは1996年。滋賀県立八幡工業高校を7年連続『花園』に導き、高校日本代表監督を務めた後のことだ。若き挑戦心は、より高いレベルを求め、早稲田大、慶應義塾大、明治大など伝統校がしのぎを削る「関東大学対抗戦グループ」へと向かった。

帝京大学ラグビー部、監督、岩出雅之「大学日本一を目指す意欲は強く、やる気は十分ありましたが がむしゃらで荒削りな進め方をしていたんじゃないかなと思います。チームには積み重ねてきたものがあるので、すぐには変わりませんでした。こちらも負けないぞという勢いで指導していたと思います。やっていることが彼らの求めるものでなければならないし、必要なことを納得させて徐々に浸透させなければならなかった。それを一気にやろうとしていたんですから、その部分での衝突はありました」

 岩出は、そこで何を学び、改善したのだろうか。

「この間、僕はいろいろな失敗をしているんですね。そこで学んだことは、他人を変えるよりも自分を変えなければいけないということでした。それに気付いてから少しずつやり方を変えていったのですが、すぐに結果を求めすぎず欲張らずに、我慢強く提案していくことができていたら、当時の学生たちからもう少し素直さを引き出してやれたのではないかと思います」

 また、最初の数年間は、現実的な目標と自分たちが目指すべき大きな目標と、どちらを優先して設定するべきか迷った時期でもあった。… 続きを読む

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岩出 雅之(イワデ マサユキ)
1958年、和歌山県生まれ。和歌山県立新宮高校から日本体育大学体育学部卒。学生日本代表、U23日本代表に選出。卒業後は公立中学校、滋賀県教育委員会などを経て滋賀県立八幡工業高校に赴任し、同校ラグビー部を7年連続花園出場へ導く。1996年に帝京大学ラグビー部監督に就任。2009~2012年全国大学ラグビーフットボール選手権において国内大学ラグビー史上初の4連覇を達成。

帝京大学ラグビー部について
■ ホームページ

帝京大学ラグビー部
■公式ホームページ http://rugby.teikyouniv.jp/

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